和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

遅読。

2011-11-17 | 古典
本読みが、遅々として進みません。
そういえば、山村修に「遅読のすすめ」という本がありました。
と、ついつい脇道へそれます。
たいてい、私は遅読で失敗します。
今回は、ネット古本を注文しております。
昨日送られてきた本は

 長谷川慶太郎・中西輝政対談「これからのアジア これからの日本」(PHP研究所)
 中西輝政著「日本の『死』」(文藝春秋)

ちなみに、長谷川慶太郎氏との対談のあとがきで中西輝政氏は
雑誌に発表した「冷たい平和の時代」をあげながら、書き始めておりました。
この「冷たい平和の時代」は、
ありました。Voice select 中西輝政著「覇権の終焉」(PHP研究所・2008年)の目次にみつけました。

さてっと、今年はというと、千年に一度という東日本大震災。
その関連本を読んでいる際に、中西輝政氏の大切さに気づいた新参者の私です。長谷川慶太郎氏との対談の最初で、中西氏は、こう語っておりました。

「だいたい日本はアジアの歴史というと、第二次世界大戦や明治の日清や日露の戦争ぐらいからしか考えない悪弊があるわけです。これはまったくもって、とんでもない視野の狭さといわねばなりません。アジアを相手にして歴史を語るとき、私は最低でも二千年ぐらいのレンジがなければならないと思うのです。そうすると、これまでとはかなり違うアジアと日本のイメージが浮かび上がってくるでしょう。そして、今後のアジアを考える際も、歴史を脇へ置いてしまう発想はありえないことがよく分かるわけです。」

うんうん。中西輝政氏を読むというのは、
千年、二千年という歴史の懐に参入することでもあります。
ここは腰をすえて遅読に専念する気構えが必要と気づくこの頃。
枝葉末節に拘泥して、幹を忘れることがないように。
何とか、中西輝政氏の著作に食らいついていけますように。
コメント
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