和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

歴史の教訓。

2011-11-06 | 他生の縁
新刊で、金子兜太・半藤一利対談「今、日本人に知ってもらいたいこと」(KKベストセラーズ)が出ておりました。
そこから、ちょっと。

半藤】 ・・では具体的に歴史の教訓とは何か。
実は、『後(のち)の人が歴史からは何も学ばない』ということが歴史の最高の教訓なんです。
金子】 (笑)。それは大きな教訓だわ。東日本大震災にもつながってくる。 (p206~207)

この前のページには、こんな箇所。

半藤】 ・・・・戦争当時、近衛文麿という総理大臣がいました。近衛文麿は『以後、国民政府を対手とせず』という重大声明を昭和13年の1月に発表します。なぜ近衛はこういう判断をしたのか。要するに、蒋介石との間に和平交渉が進んでいた。それなのに、日本側が出した条件に蒋介石の方が応えてこなかったから、もう許さんというので、その声明を出して交渉を打ち切った。ところが、これはものすごい大間違いだったんです。なぜ間違いであったのかというと、一番大事な情報を握りつぶしたやつがいたんですね。実はそのとき蒋介石は大病を患っていたんです。病床にあって判断ができないような大病をしていたので、返事が遅れていたんです。
日本側は蒋介石が病臥中であるという情報を知っていたんです。にもかかわらず、知っていたやつがなぜ当時の総理大臣にちゃんと伝えなかったのか、トップに教えないのかという大疑問が残るのですが。


総理大臣と情報というのは、東日本大震災で、何かリアルに繰り返されていた実感がありました。近衛文麿の重大声明も、今なら、疑問の糸口がほどけているような気がしますが、どうでしょう?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする