和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

いやさ、おトミ。

2011-11-23 | 手紙
昨日。注文してあった杉山平一詩集「希望」(編集工房ノア)が届く。
うん。さっそく、パラパラとめくりながら、詩集の余白をみつめます。
そう。そういえば、「取り消し」という詩(p50~51)の最後の3行は

  息づまりのなかに
  風通しのよい空白を見つけて 
  ハハハ・・とわらっている

余白と空白と、どう違うのか笑いながら思ってみます。
さて、ご存知でしたでしょうか?
昭和42(1967)年に出された詩集「声を限りに」のなかに、
「退屈」という詩がありました。それをここに引用。

    退屈     杉山平一

  十年前、バスを降りて
  橋のたもとの坂をのぼり
  教会の角を右に曲つて
  赤いポストを左に折れて三軒目
  その格子戸をあけると
  長谷川君がいた

  きょう、バスを降りて
  橋のたもとの坂をのぼり
  教会の角を右に曲つて
  赤いポストを左に折れて三軒目
  その格子戸をあけると
  やっぱり長谷川君がいた


うん。このたび出版された詩集「希望」のあとがきは、

「何を、今さら、九十七歳にもなって詩集を出すなんて、と思えるが」
と、はじまっておりました。あとがきの最後も引用させてください。

「折しも、この詩集の編纂にかかり始めた時に東日本大震災が起こり、次々と流れてくる報道に動転した。そもそも、私は会津生まれでありながら、東北地方について無知であった。しかし私は、太陽の光に眩しく輝く南の海より、青いインキのような北の海、高村光太郎が『キメが細かい』と言ったような北の青空が、好きである。
うなじや太鼓帯の美しさが背中に隠れているように、東北地方の人たちは後ろ側にその美しさを秘めている。表からは見えないその奥ゆかしさや謙虚さを打ちのめすように、大震災が東北の街をハチャメチャにしていったのだ。今こそ、隠れていた背中の印半纏を表に出し、悲境を超えて立ち上がって下さるのを祈るばかりである。奥ゆかしさを蹴破って、激烈なバックストローク、鵯越(ひよどりごえ)の逆落としさながら、大漁旗を翻して新しい日本を築いて下さるように。詩集の題名を『希望』としたが、少しでも復興への気持ちを支える力になれば、と祈るばかりである。  2011年8月15日  杉山平一 」


この詩集「希望」には、「手紙」と題した詩があります。
そういえば、初期の詩に「郵便函」があったなあ。

    郵便函

 一家は引越したのだろう

 粗末な木の郵便受けが
 捨てられている

 かずかずの夢の
 到着を待ったあの函
 
 いま雨にうたれて
 泥をあびて


ここに「かずかずの夢の到着を待ったあの函」とあるのでした。
さて、詩集「希望」のなかにある、詩「手紙」を引用

   手紙

 久しぶりの手紙
 歌舞伎のセリフをまねて

  ( ええ ご新造さんえ )

 手紙を二つに折って
  ( おかみさん )

 四つに折り返して
  ( お富さん )
 
 八つに折り返して
  ( いやさ、おトミ ) 

 にぎりしめて
  ( 久しぶりだなあ )

 屑かごにほうりこめずに
 目がうるんできやがった


最後は、私が郵便配達員となって、
この詩集のはじまりの詩「希望」をお届けする番。


    希望   杉山平一

 夕ぐれはしずかに
 おそってくるのに
 不幸や悲しみの
 事件は

 列車や電車の
 トンネルのように
 とつぜん不意に
 自分たちを
 闇のなかに放り込んでしまうが
 我慢していればよいのだ
 一点
 小さな銀貨のような光が
 みるみるぐんぐん
 拡がって迎えにくる筈だ
 
 負けるな


       




 
コメント
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