昨日。注文してあった杉山平一詩集「希望」(編集工房ノア)が届く。
うん。さっそく、パラパラとめくりながら、詩集の余白をみつめます。
そう。そういえば、「取り消し」という詩(p50~51)の最後の3行は
息づまりのなかに
風通しのよい空白を見つけて
ハハハ・・とわらっている
余白と空白と、どう違うのか笑いながら思ってみます。
さて、ご存知でしたでしょうか?
昭和42(1967)年に出された詩集「声を限りに」のなかに、
「退屈」という詩がありました。それをここに引用。
退屈 杉山平一
十年前、バスを降りて
橋のたもとの坂をのぼり
教会の角を右に曲つて
赤いポストを左に折れて三軒目
その格子戸をあけると
長谷川君がいた
きょう、バスを降りて
橋のたもとの坂をのぼり
教会の角を右に曲つて
赤いポストを左に折れて三軒目
その格子戸をあけると
やっぱり長谷川君がいた
うん。このたび出版された詩集「希望」のあとがきは、
「何を、今さら、九十七歳にもなって詩集を出すなんて、と思えるが」
と、はじまっておりました。あとがきの最後も引用させてください。
「折しも、この詩集の編纂にかかり始めた時に東日本大震災が起こり、次々と流れてくる報道に動転した。そもそも、私は会津生まれでありながら、東北地方について無知であった。しかし私は、太陽の光に眩しく輝く南の海より、青いインキのような北の海、高村光太郎が『キメが細かい』と言ったような北の青空が、好きである。
うなじや太鼓帯の美しさが背中に隠れているように、東北地方の人たちは後ろ側にその美しさを秘めている。表からは見えないその奥ゆかしさや謙虚さを打ちのめすように、大震災が東北の街をハチャメチャにしていったのだ。今こそ、隠れていた背中の印半纏を表に出し、悲境を超えて立ち上がって下さるのを祈るばかりである。奥ゆかしさを蹴破って、激烈なバックストローク、鵯越(ひよどりごえ)の逆落としさながら、大漁旗を翻して新しい日本を築いて下さるように。詩集の題名を『希望』としたが、少しでも復興への気持ちを支える力になれば、と祈るばかりである。 2011年8月15日 杉山平一 」
この詩集「希望」には、「手紙」と題した詩があります。
そういえば、初期の詩に「郵便函」があったなあ。
郵便函
一家は引越したのだろう
粗末な木の郵便受けが
捨てられている
かずかずの夢の
到着を待ったあの函
いま雨にうたれて
泥をあびて
ここに「かずかずの夢の到着を待ったあの函」とあるのでした。
さて、詩集「希望」のなかにある、詩「手紙」を引用
手紙
久しぶりの手紙
歌舞伎のセリフをまねて
( ええ ご新造さんえ )
手紙を二つに折って
( おかみさん )
四つに折り返して
( お富さん )
八つに折り返して
( いやさ、おトミ )
にぎりしめて
( 久しぶりだなあ )
屑かごにほうりこめずに
目がうるんできやがった
最後は、私が郵便配達員となって、
この詩集のはじまりの詩「希望」をお届けする番。
希望 杉山平一
夕ぐれはしずかに
おそってくるのに
不幸や悲しみの
事件は
列車や電車の
トンネルのように
とつぜん不意に
自分たちを
闇のなかに放り込んでしまうが
我慢していればよいのだ
一点
小さな銀貨のような光が
みるみるぐんぐん
拡がって迎えにくる筈だ
負けるな
うん。さっそく、パラパラとめくりながら、詩集の余白をみつめます。
そう。そういえば、「取り消し」という詩(p50~51)の最後の3行は
息づまりのなかに
風通しのよい空白を見つけて
ハハハ・・とわらっている
余白と空白と、どう違うのか笑いながら思ってみます。
さて、ご存知でしたでしょうか?
昭和42(1967)年に出された詩集「声を限りに」のなかに、
「退屈」という詩がありました。それをここに引用。
退屈 杉山平一
十年前、バスを降りて
橋のたもとの坂をのぼり
教会の角を右に曲つて
赤いポストを左に折れて三軒目
その格子戸をあけると
長谷川君がいた
きょう、バスを降りて
橋のたもとの坂をのぼり
教会の角を右に曲つて
赤いポストを左に折れて三軒目
その格子戸をあけると
やっぱり長谷川君がいた
うん。このたび出版された詩集「希望」のあとがきは、
「何を、今さら、九十七歳にもなって詩集を出すなんて、と思えるが」
と、はじまっておりました。あとがきの最後も引用させてください。
「折しも、この詩集の編纂にかかり始めた時に東日本大震災が起こり、次々と流れてくる報道に動転した。そもそも、私は会津生まれでありながら、東北地方について無知であった。しかし私は、太陽の光に眩しく輝く南の海より、青いインキのような北の海、高村光太郎が『キメが細かい』と言ったような北の青空が、好きである。
うなじや太鼓帯の美しさが背中に隠れているように、東北地方の人たちは後ろ側にその美しさを秘めている。表からは見えないその奥ゆかしさや謙虚さを打ちのめすように、大震災が東北の街をハチャメチャにしていったのだ。今こそ、隠れていた背中の印半纏を表に出し、悲境を超えて立ち上がって下さるのを祈るばかりである。奥ゆかしさを蹴破って、激烈なバックストローク、鵯越(ひよどりごえ)の逆落としさながら、大漁旗を翻して新しい日本を築いて下さるように。詩集の題名を『希望』としたが、少しでも復興への気持ちを支える力になれば、と祈るばかりである。 2011年8月15日 杉山平一 」
この詩集「希望」には、「手紙」と題した詩があります。
そういえば、初期の詩に「郵便函」があったなあ。
郵便函
一家は引越したのだろう
粗末な木の郵便受けが
捨てられている
かずかずの夢の
到着を待ったあの函
いま雨にうたれて
泥をあびて
ここに「かずかずの夢の到着を待ったあの函」とあるのでした。
さて、詩集「希望」のなかにある、詩「手紙」を引用
手紙
久しぶりの手紙
歌舞伎のセリフをまねて
( ええ ご新造さんえ )
手紙を二つに折って
( おかみさん )
四つに折り返して
( お富さん )
八つに折り返して
( いやさ、おトミ )
にぎりしめて
( 久しぶりだなあ )
屑かごにほうりこめずに
目がうるんできやがった
最後は、私が郵便配達員となって、
この詩集のはじまりの詩「希望」をお届けする番。
希望 杉山平一
夕ぐれはしずかに
おそってくるのに
不幸や悲しみの
事件は
列車や電車の
トンネルのように
とつぜん不意に
自分たちを
闇のなかに放り込んでしまうが
我慢していればよいのだ
一点
小さな銀貨のような光が
みるみるぐんぐん
拡がって迎えにくる筈だ
負けるな