注文した古本の、中西輝政著「国民の文明史」(産経新聞社)が今日届く。
古本値が300円+送料300円で600円なり。
この本は、新しい歴史教科書をつくる会編となっており、分厚い462ページで、読むのが楽しみ。本自体はきれいな古本です。あとPHP新書の中西輝政著「なぜ国家は衰亡するのか」と合わせて読んでみたいと思っております。
それはさておき。
ちらりと、思い浮かんだのは、
鼎談本「同時代を生きて 忘れえぬ人びと」(岩波書店・2004年)でした。
これは、瀬戸内寂聴、ドナルド・キーン、鶴見俊輔の3人が語りあっておりました。
共通点は、3人とも大正13年(1922年)生まれ。
東日本大震災でのドナルド・キーン氏のことや、瀬戸内寂聴氏のことを思い浮かべると、鶴見俊輔の近況も、気になるところです。ちなみに、「日本人は何を捨ててきたのか 思想家・鶴見俊輔の肉声」(筑摩書房)は1997年と2002年の対談を一冊にした本なのですが、そのあとがきの前に関川夏央氏が「鶴見俊輔先生の『敗北力』」という文を書いていて、「2011年3月11日のあとには、『敗北力』という短文を雑誌に寄せられた(「世界」2011年5月号)」として、その文から引用をしてくれております。
さてっと、同年輩といえば、思い浮かぶのは
同じ昭和5年生まれの渡部昇一氏と岡崎久彦氏のこと。
これは、「賢者は歴史に学ぶ」(クレスト社)のまえがきとあとがきに、お二人が書いております。
それでは、そのあとに続く若い方は、どなたがいるのか?
というのは、当然な疑問なのですが、
渡部昇一・中西輝政対談「誇りなき国は滅ぶ」(到知出版社)の
あとがきで、渡部氏が書いておりました。
ちょっと気になるので最初から引用。
「中西さんと最初にお会いしたのは、中西さんへの山本七平賞の授与式の晩であった。そのころ、私はこの賞の選考委員の一人であり、式の後の晩餐会の後、つまり三次会で、ウイスキーを飲み、京都の夜景を見ながら中西さんとゆっくり話し合う機会があった。そのとき、私は中西さんに対して剣豪講談風にいえば、『おぬし、よくやるな』という感じを持ったことがあった。
それは私が『英国近代史について、私の知りたいことを教えてくれるイギリス人の歴史家にサマヴィル(David C.Somervell)という人がいます』というようなことをいったときだった。すると中西さんからは、『彼にはリーダーシップ論の本もありますね』という反応がすぐ返ってきたのだ。私はここですぐに百年の知己を得たような気がしたのである。たいていの人が知らなかったり、あるいはすっかり忘れられているような本で、しかも私の愛読書である本の名前をあげたときに、『うん、あれはいい。私の愛読書でもある』という人があったら、私はその人が初対面でも百年の知己を得たような気がするのである。・・・・かつて私は外交官・歴史学者の岡崎氏との対談本を到知出版社から出したことがあったが、そのときに岡崎さんがいっておられた忘れ難い言葉がある。『渡部さん、われわれはもう十年間ぐらい頑張る必要があります。役所でもいまの重要なポストにいる年代より十年ぐらい若い連中にはいい人材がいます。その人たちが重要なポストにつくまで、もう十年間ぐらいはわれわれの言論活動が日本のために必要です』というような話だった。そういわれてみると心当たりがある。われわれの知っている昔の政治家は、人によって好き嫌いはあるだろうが、吉田茂でも石橋湛山でも佐藤栄作でも、背骨がしっかりしていたという印象が強い。つまり日本人としての歴史観がしっかりしていた。しかしいまの首相やそれを取り巻く前後の世代の政治家には、しっかりとした背骨がないという感じが強いのだ。隣国に根拠薄弱な文句をいわれても、長期の国益も考えずにヘイコラしてしまう。物書きの世界にもいつまで経ってもこれという若手の姿が見えない。
こんな感じを持っていたところに中西さんが登場してきた。先ず第一にがっしりした学問的基盤を持っておられる。その発言には戦後左翼文化人のマインド・コントロールの跡がまったくない。こういう方の登場こそわれわれ昭和五年前後生まれの人間たちが待ちに待った人材なのである。・・・」
うん。「昭和五年前後生まれの人間たちが待ちに待った人材」。
こういう指摘はこころ強い。
ということで、ゆっくりと、中西輝政氏の本を読みます。
古本値が300円+送料300円で600円なり。
この本は、新しい歴史教科書をつくる会編となっており、分厚い462ページで、読むのが楽しみ。本自体はきれいな古本です。あとPHP新書の中西輝政著「なぜ国家は衰亡するのか」と合わせて読んでみたいと思っております。
それはさておき。
ちらりと、思い浮かんだのは、
鼎談本「同時代を生きて 忘れえぬ人びと」(岩波書店・2004年)でした。
これは、瀬戸内寂聴、ドナルド・キーン、鶴見俊輔の3人が語りあっておりました。
共通点は、3人とも大正13年(1922年)生まれ。
東日本大震災でのドナルド・キーン氏のことや、瀬戸内寂聴氏のことを思い浮かべると、鶴見俊輔の近況も、気になるところです。ちなみに、「日本人は何を捨ててきたのか 思想家・鶴見俊輔の肉声」(筑摩書房)は1997年と2002年の対談を一冊にした本なのですが、そのあとがきの前に関川夏央氏が「鶴見俊輔先生の『敗北力』」という文を書いていて、「2011年3月11日のあとには、『敗北力』という短文を雑誌に寄せられた(「世界」2011年5月号)」として、その文から引用をしてくれております。
さてっと、同年輩といえば、思い浮かぶのは
同じ昭和5年生まれの渡部昇一氏と岡崎久彦氏のこと。
これは、「賢者は歴史に学ぶ」(クレスト社)のまえがきとあとがきに、お二人が書いております。
それでは、そのあとに続く若い方は、どなたがいるのか?
というのは、当然な疑問なのですが、
渡部昇一・中西輝政対談「誇りなき国は滅ぶ」(到知出版社)の
あとがきで、渡部氏が書いておりました。
ちょっと気になるので最初から引用。
「中西さんと最初にお会いしたのは、中西さんへの山本七平賞の授与式の晩であった。そのころ、私はこの賞の選考委員の一人であり、式の後の晩餐会の後、つまり三次会で、ウイスキーを飲み、京都の夜景を見ながら中西さんとゆっくり話し合う機会があった。そのとき、私は中西さんに対して剣豪講談風にいえば、『おぬし、よくやるな』という感じを持ったことがあった。
それは私が『英国近代史について、私の知りたいことを教えてくれるイギリス人の歴史家にサマヴィル(David C.Somervell)という人がいます』というようなことをいったときだった。すると中西さんからは、『彼にはリーダーシップ論の本もありますね』という反応がすぐ返ってきたのだ。私はここですぐに百年の知己を得たような気がしたのである。たいていの人が知らなかったり、あるいはすっかり忘れられているような本で、しかも私の愛読書である本の名前をあげたときに、『うん、あれはいい。私の愛読書でもある』という人があったら、私はその人が初対面でも百年の知己を得たような気がするのである。・・・・かつて私は外交官・歴史学者の岡崎氏との対談本を到知出版社から出したことがあったが、そのときに岡崎さんがいっておられた忘れ難い言葉がある。『渡部さん、われわれはもう十年間ぐらい頑張る必要があります。役所でもいまの重要なポストにいる年代より十年ぐらい若い連中にはいい人材がいます。その人たちが重要なポストにつくまで、もう十年間ぐらいはわれわれの言論活動が日本のために必要です』というような話だった。そういわれてみると心当たりがある。われわれの知っている昔の政治家は、人によって好き嫌いはあるだろうが、吉田茂でも石橋湛山でも佐藤栄作でも、背骨がしっかりしていたという印象が強い。つまり日本人としての歴史観がしっかりしていた。しかしいまの首相やそれを取り巻く前後の世代の政治家には、しっかりとした背骨がないという感じが強いのだ。隣国に根拠薄弱な文句をいわれても、長期の国益も考えずにヘイコラしてしまう。物書きの世界にもいつまで経ってもこれという若手の姿が見えない。
こんな感じを持っていたところに中西さんが登場してきた。先ず第一にがっしりした学問的基盤を持っておられる。その発言には戦後左翼文化人のマインド・コントロールの跡がまったくない。こういう方の登場こそわれわれ昭和五年前後生まれの人間たちが待ちに待った人材なのである。・・・」
うん。「昭和五年前後生まれの人間たちが待ちに待った人材」。
こういう指摘はこころ強い。
ということで、ゆっくりと、中西輝政氏の本を読みます。