1月1日の新聞をひらく。
読まないけれども、ひらくくらいなら(笑)。
さてっと、記事よりも、
新聞広告へと目がいく。
二面の下には、新潮社の広告が掲載されておりました。
朝日・毎日・産経新聞の、いずれもがそうだったのですが、
読売新聞だけには、新潮社の広告がありません。
1月3日の読売新聞を見たのですが、
ここにも、新潮社の広告が見あたりません。
うん。新潮社と読売新聞は、
いま、犬猿の仲なのかなあと、
雑誌にはうとい私ですが、思ったりします。
では、読売新聞を購読されている方のために、
新年の新潮社の広告を紹介いたします。
それは、ドナルド・キーンさんが写真入りで文章を書いておりました。
全文引用したくなるのですが、ここでは、
その文章の最後を引用しておきます。
「私は今年六月で九十歳になります。『卒寿』です。
震災を機に日本人になることを決意し、
昨年、帰化の申請をしました。
晴れて国籍がいただけたら、私も日本人の一員として、
日本の心、日本の文化を
守り育てていくことに微力を尽くします。
新しい作品の執筆に向けて、毎日、勉強を続けています。
勁健(けいけん)なるみなさん、
物事を再開する勇気をもち、
自分や社会のありかたを良い方向に
変えることを恐れず、
勁(つよ)く歩を運び続けようではありませんか。」
ちなみに、朝日新聞の文化欄には
ドナルド・キーン氏の文章が掲載されておりました。
すこしだけ、方丈記を語っているところがあるので、
そこだけ引用してみます。
「・・・ここまで考えて私は、自分の専門である日本文学の中に一体どれほど災害を記録した文学、小説があったかを調べてみる。すると長い歴史の中で、『方丈記』しかないと思えるほど、とても少ないのだ。これは実に不思議な発見だった。なぜ、天災や人災を記した作品がないか、ということにもはっきりとした説明は見当らなかった。
過去の日本では『源氏物語』のような典雅な内容ならともかく、悲惨で恐ろしい出来事は文学の題材に相応(ふさわ)しくないと考えられたのかも知れない」
うん。方丈記を読み直してみよう。
そういえば、玄侑宗久著「無常という力」(新潮社・2011年11月発行)は、副題に「『方丈記』に学ぶ心の在り方」とある本でした。
きちんと、堀田善衛著「方丈記私記」も読まなければ。
方丈記には竜が出てくる箇所がありました。
羽なければ、空をも飛ぶべからず。
竜(りょう)ならばや、雲にも乗らむ。
この箇所の岩波文庫の注は
「竜だったら、雲にでも乗って難をさけられるだろうか、
人間だからそれもできない。 」とあるのでした。
竜ならばや、雲にも乗らむ
以上で終わり、
以下は余談。
「雲にも乗らむ」というと、ついつい、
ノンちゃんなら雲にも乗らむ、という連想が働いてしまいます。
こういう連想は、俳諧むきなんでしょうか。
ということを、寺田寅彦の俳句をとおして
この一年考えられればと思っております。
さてっと、池上彰著「伝える力2」(PHPビジネス新書)
というのが出ておりました。
その第一章「東日本大震災と『伝える力』」の
はじまりを引用してみます。
「『ようめんに付着する放射性物質はですね・・・』
『農作物への放射線の被害は・・ようめんにですね・・・』
突然発せられる『ようめん』という言葉。
私は思わず『ウン!? ようめん?』
と思ってしまいました。
この『ようめん』が何を意味するか、
あなたはわかりますか?
エッ、妖面? それはまぁ、なんと面妖(めんよう)な。
ひょっとして『面妖』って、ナニ?
と思った人もいるでしょうか。
確かに今では使う人がほとんどいなくなりましたね。
『面妖』は不思議な様(さま)、怪しい様を表わす言葉です。
一方の『妖面』は少なくとも国語辞典には載っていない言葉です。
では、この場合の『ようめん』はどう書くかというと・・・
『葉面』と書くのですね。
ピンと来た人はどれぐらいいるでしょうか。
『ようめん』と聞いて、
『葉面』がすぐに思い浮かぶ人はとても
少ないのではないでしょうか。」
ここでの連想は、小林惟司著「寺田寅彦と連句」(勉誠出版)。
ちょっと、うまい引用箇所がみつけられないのですが、たとえば、
こんな箇所
「独立の気力なきものは、国を思うこと親切ならずといったのは福沢諭吉である・・・北畠親房は、国の乱れる初めは言葉の紊(みだ)れにありといましめた。正しい言葉を正しく守ることこそ文化である、との考えに立っていたからである。・・・
寅日子(注:寅彦のこと)も、事にあたっていかに深く、細かに、しかもつつましい態度で考え、そうして感じ行ったかということを、今日のわれわれは深く思うべきである。『科学には国境はないが、科学者には祖国がある』という名句がある。・・」(p234)
うん。私はここまで、「寺田寅彦と連句」はまだ読了してなかった(笑)。
読まないけれども、ひらくくらいなら(笑)。
さてっと、記事よりも、
新聞広告へと目がいく。
二面の下には、新潮社の広告が掲載されておりました。
朝日・毎日・産経新聞の、いずれもがそうだったのですが、
読売新聞だけには、新潮社の広告がありません。
1月3日の読売新聞を見たのですが、
ここにも、新潮社の広告が見あたりません。
うん。新潮社と読売新聞は、
いま、犬猿の仲なのかなあと、
雑誌にはうとい私ですが、思ったりします。
では、読売新聞を購読されている方のために、
新年の新潮社の広告を紹介いたします。
それは、ドナルド・キーンさんが写真入りで文章を書いておりました。
全文引用したくなるのですが、ここでは、
その文章の最後を引用しておきます。
「私は今年六月で九十歳になります。『卒寿』です。
震災を機に日本人になることを決意し、
昨年、帰化の申請をしました。
晴れて国籍がいただけたら、私も日本人の一員として、
日本の心、日本の文化を
守り育てていくことに微力を尽くします。
新しい作品の執筆に向けて、毎日、勉強を続けています。
勁健(けいけん)なるみなさん、
物事を再開する勇気をもち、
自分や社会のありかたを良い方向に
変えることを恐れず、
勁(つよ)く歩を運び続けようではありませんか。」
ちなみに、朝日新聞の文化欄には
ドナルド・キーン氏の文章が掲載されておりました。
すこしだけ、方丈記を語っているところがあるので、
そこだけ引用してみます。
「・・・ここまで考えて私は、自分の専門である日本文学の中に一体どれほど災害を記録した文学、小説があったかを調べてみる。すると長い歴史の中で、『方丈記』しかないと思えるほど、とても少ないのだ。これは実に不思議な発見だった。なぜ、天災や人災を記した作品がないか、ということにもはっきりとした説明は見当らなかった。
過去の日本では『源氏物語』のような典雅な内容ならともかく、悲惨で恐ろしい出来事は文学の題材に相応(ふさわ)しくないと考えられたのかも知れない」
うん。方丈記を読み直してみよう。
そういえば、玄侑宗久著「無常という力」(新潮社・2011年11月発行)は、副題に「『方丈記』に学ぶ心の在り方」とある本でした。
きちんと、堀田善衛著「方丈記私記」も読まなければ。
方丈記には竜が出てくる箇所がありました。
羽なければ、空をも飛ぶべからず。
竜(りょう)ならばや、雲にも乗らむ。
この箇所の岩波文庫の注は
「竜だったら、雲にでも乗って難をさけられるだろうか、
人間だからそれもできない。 」とあるのでした。
竜ならばや、雲にも乗らむ
以上で終わり、
以下は余談。
「雲にも乗らむ」というと、ついつい、
ノンちゃんなら雲にも乗らむ、という連想が働いてしまいます。
こういう連想は、俳諧むきなんでしょうか。
ということを、寺田寅彦の俳句をとおして
この一年考えられればと思っております。
さてっと、池上彰著「伝える力2」(PHPビジネス新書)
というのが出ておりました。
その第一章「東日本大震災と『伝える力』」の
はじまりを引用してみます。
「『ようめんに付着する放射性物質はですね・・・』
『農作物への放射線の被害は・・ようめんにですね・・・』
突然発せられる『ようめん』という言葉。
私は思わず『ウン!? ようめん?』
と思ってしまいました。
この『ようめん』が何を意味するか、
あなたはわかりますか?
エッ、妖面? それはまぁ、なんと面妖(めんよう)な。
ひょっとして『面妖』って、ナニ?
と思った人もいるでしょうか。
確かに今では使う人がほとんどいなくなりましたね。
『面妖』は不思議な様(さま)、怪しい様を表わす言葉です。
一方の『妖面』は少なくとも国語辞典には載っていない言葉です。
では、この場合の『ようめん』はどう書くかというと・・・
『葉面』と書くのですね。
ピンと来た人はどれぐらいいるでしょうか。
『ようめん』と聞いて、
『葉面』がすぐに思い浮かぶ人はとても
少ないのではないでしょうか。」
ここでの連想は、小林惟司著「寺田寅彦と連句」(勉誠出版)。
ちょっと、うまい引用箇所がみつけられないのですが、たとえば、
こんな箇所
「独立の気力なきものは、国を思うこと親切ならずといったのは福沢諭吉である・・・北畠親房は、国の乱れる初めは言葉の紊(みだ)れにありといましめた。正しい言葉を正しく守ることこそ文化である、との考えに立っていたからである。・・・
寅日子(注:寅彦のこと)も、事にあたっていかに深く、細かに、しかもつつましい態度で考え、そうして感じ行ったかということを、今日のわれわれは深く思うべきである。『科学には国境はないが、科学者には祖国がある』という名句がある。・・」(p234)
うん。私はここまで、「寺田寅彦と連句」はまだ読了してなかった(笑)。