和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

石垣さん。

2012-01-11 | 詩歌
写真集「茨木のり子の家」(平凡社)で、
詩人の家の本棚に、無雑作に並ぶ本が見れました。
おそらく本人は、他人に見られることなど、予測しておられなかっただろうなあ。不意を写されたような本棚。そんな気がしました。

その本棚に、現代詩文庫の「茨木のり子詩集」が二冊。
その少し離れて、現代詩手帖特集版「石垣りん」も二冊。
今日になって、そういえばと、思い出したように、
「現代詩手帖特集版 石垣りん」を、本棚からとりだしてみました。
おっと、これは私の本棚ですよ(笑)。
そこには、茨木のり子さんの弔辞があるのでした。
読み飛ばしていた、その弔辞を、あらためて読み直します。
はじまりは、こうでした。

「石垣さん、
とうとうこんな日がやってきてしまいました。
私の方が先、とばかり思っていましたのに。」

その弔辞に「いさぎよいです」とあるのでした。

「いさぎよいです。
詩の世界でも、現代詩の潮流とは無縁で、むしろまったく逸れたところで、御自分の詩を書き継いでこられました。・・・なんと言ってもあなたのピークを成しているのは『表札など』という詩集です。この詩集を頂いたとき、こちらの心臓を鷲づかみされたような、どきどき感がありました。『詩はこうでなくっちゃ・・・』と思った日のことを鮮明に覚えております。」


うん。まだ引用したいのですが、これくらいで。
つぎにいきましょう。
茨木さんの本棚には、石垣りんさんの詩集が並んでおりました。
「表札など」は古い版と、最新のでしょうか新しい版と1冊づつありました。
そうそう、石垣りん著「詩の中の風景」(婦人之友社)もありました。
この「詩の中の風景」は、いろいろな方の詩を引用して、
毎回、石垣りんさんが、その詩にまつわるエッセイを書いております。
たとえば、杉山平一の詩「退屈」を取り上げて、
はじまる石垣さんの文はというと

「一節と二節の字句がほとんど同じで、違う言葉が三つしかない『退屈』。最初に読んだときから仮に十年後として、再び詩集の同じ頁をひらいたとき、やっぱり長谷川君がいた、と読者である私に感じさせてくれる不思議な存在感。・・・・退屈そのものがひとつのかたちとして見えてくる。実際はそれどころではない、毎日のあくせくがあったとしても。・・・」

ちなみに、この「詩の中の風景」には、
茨木のり子さんの詩「花ゲリラ」が取り上げられておりました。
それについて書かれた石垣さんの文を読むと、
詩の中でしっかりと出会っておられた二人のことへ思いが飛翔してゆき、
茨木さんが先に亡くなっていれば、
石垣さんが弔辞を読んだのだろうことを、
思う不思議。
でも、亡くなったのは、きちんと年齢順でした。
石垣りん。1920(大正9)年東京生まれ。2004(平成16)年12月死去。享年84歳。
茨木のり子。1926(大正15)年大阪生まれ。2006(平成18)年2月死去。享年79歳。
コメント
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