和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

時代の抜け殻。

2012-01-14 | 短文紹介
白川浩司著「オンリー・イエスタディ 『諸君!』追憶」(小学館)を、読みました。読みやすい。ご本人は「あとがき」にこうしるしております。

「読み返してみると、我ながら『いい気なもんだね』という気がするし、最後に『ナーンチャッテ』と付け加えたくなるような気分もある。」


うん。わかりやすい語り口なのです。
そこを本文から拾うとすると、こういう箇所になるのでしょうか。

「雑誌の世界でも、『世界』が左翼系論壇を代表するとすれば『諸君!』は保守系の代表、『中央公論』はその中間に近い、というのが大方の見方だった。が、私にいわせれば『諸君!』と他の二誌との最大の違いは、そうしたイデオロギーではない。二誌には高踏的すぎてアタマに入りにくい文章がしばしば登場したのに対し、『文藝春秋』はもちろん『諸君!』も、あくまでやさしく噛み砕いて提供した点にある。・・・読者のほうを見るか、書き手の仲間意識を尊重するか、の差だった。」(p114~115)


そういえば、この本のあとがきには、
「冒頭にも記したことだが、あらためて思うのは、『諸君!』が休刊にならなければ、こういうものは永遠に書かなかっただろう、ということである。」とあり
そして、「・・・・この文章は何かの『抜け殻』のよう」というのです。
この『抜け殻』という言葉が、文脈とは別にして、私に印象深いのでした。
たとえば、ここに、セミの抜け殻がおちていると思って下さい。
中身は空洞。もぬけのカラなのに、その姿、輪郭は鮮やかに残されている。そんな、たわいもないことを、この本の読後感とダブらせながら思うのでした。


というからには、抜け殻のシワのひとつでも引用してみましょう。
三島由紀夫事件を語りながら、「今でいえば、・・無党派層のような若者」と輪郭をしっかりとつけている箇所です。

「以下はあくまで仮説だが、結果的にこの事件は、全国を覆った新左翼運動に冷水を浴びせることになったように見えた。あらゆる風潮、流行現象の例にもれず、全共闘あるいは当時の左翼運動には一種ファッションの部分があったが、三島さんの問いかけは、迷いながらも運動に引き込まれていった層、今でいえば『支持政党なし』の無党派層のような若者を確実に撃ったのだ。どこまで本気で左翼運動に走るのか、命を賭してまでやる気があるのか、という問いを、突きつけたのである。」

うん。さりげなくも、引用したい箇所はかずかずありますが、ガマン(笑)。それは読んだ方の得といたしましょう。
本の体裁は、第一章から第四章までつづくのですが、
第三章と第四章との間に、「間奏曲」として「諸君!」の名物コラム
「紳士と淑女」と「笑わぬでもなし」をとりあげておりました。
うん。私といえば、まず、そこから読み始めたのでした(笑)。
コメント
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