和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

森有正とダメな人。

2012-01-09 | 短文紹介
本棚から取り出しておいた、坪内祐三著「考える人」(新潮社)には、さまざまな方が取り上げられ、並んでいます。たとえば、深代惇郎の前は、森有正でした。
ということで、森有正。
うん。私は森有正を読んだことがない。
読んだことがないから、かってなことを以下書きます。

新聞を読んでいて、時事問題に触れるのが普通なのでしょうが、時に、歴史的な回顧を何気なく読めるのには、驚かされます。たとえば、産経新聞の「正論」欄2011年11月24日に平川祐弘(ちなみに、祐の左は示と書く)の文が掲載されておりました。
それが、机上に置いたままになっておりました。この機会に引用しておきます。

渡辺一夫氏について語られてはじまります。が、ここでは、
平川氏の文の最後から引用していきます。

「女子大生に向かって自衛隊員の嫁になるな、と訓辞した人も渡辺(一夫)の弟子にいた。森(有正)は日本はダメだと言って、フランス礼讃をして評判になったが、これは、日本インテリの発言の一つの類型で、仏文出身の一タイプである。しかし、同胞の劣等感につけこんで、自分を偉く見せかける人、誰がダメかと聞かれるなら、そんな人こそダメな人だと私は答えたい。」

さて、この文の題は「幻想を振りまいた仏文の知的群像」とあります。
文のなかばから森有正について書かれておりました。
うん。貴重だと思えるので、ここに引用。

「10月末から『哲学雑誌』の編集長ブレス教授が来日し、話すうちに思い出が次々に湧いたので、その真贋に触れたい。
ブレス先生は1951年、25歳の若さで来日した。敗戦直後だから実存主義大流行で仏語会話の授業でもサルトルの戯曲を読んだ。先生は教養学科1回生、特に仲沢紀雄の論文はすばらしかった、という。何しろ中村真一郎や加藤周一も落ちた狭き門の留学生試験に仲沢はいち早く合格し、森と同じアベ・ド・レペ街の建物に住んでいた。1年遅れでパリに着いた私もそこで2人に何度か会った。森は、昨日は何ページ読んだと豪語する。私は『読書量を自慢する読み方はよくない』というハーンの読書論を反射的に思い出す。森は平気で見え透いた嘘をつく。『もうじき家内をパリに呼びます』もその一つだ。デカルトについて博士論文を書いているというのも嘘だな、と私は直覚した。
ブレス氏は、日仏会館で戦後60年余を回顧し日本人のフランス哲学研究ではパリ大学でパスカルを講義した前田陽一先生の名はあげたが、森には一言も触れない。知らないのではない。かつて学生だった私に、『デカルトのような有名人を森のようにルネ・デカルトなどといってはいけないよ』と注意してくれたこともあったからである。森の名前が出なかったのも無理もない。森の国家博士論文は大成するどころではなかった。辻邦生が森のデカルト研究の草稿が死後、何も残されてないと驚いたが、あれは驚く方がかまととで、間違いだ。・・・それなのに、森有正に感心するフランス哲学の教授はまだ東大にいるらしい。だがそんな人は森と同じでフランス語で論文を出すでもなく生涯を終えるに相違ない。」


何も読んでいないし、知らない私ですが、
とりあえず森有正は、敬して遠ざけることにいたします。
ところで、坪内祐三著「考える人」に、入っている森有正の文は、
こうはじまっておりました。

「ここ数日、私は、一冊の文庫本をずっと探しているのですが、見つかりません。それは、森有正の『思索と経験をめぐって』(講談社学術文庫)です。1976年に出たこの文庫本を、私は、その翌々年、大学に入学した年の春に入手し、熱心に読みました。本当に熱心に読みました。・・・そうだ、森有正もまた、『考える人』にふさわしい人物だと思い、いつか彼が登場する時のために、取り置きしていたはずなのですが、・・・どこかに消えてしまいました(時間というものはそうやって経過して行くものです)。・・・」


うん。数日探している本が、「どこかに消えてしまいました」というのですが、何やら象徴的な感じにも読めるのでした。象徴的といえば、この森有正への文の最後を
坪内祐三は、こうしめくくっておりました。

「しかし、実は私は、『思索と経験をめぐって』を、体験しただけだったのかもしれません。」

坪内祐三の文も、何やら、こうして見ると、
微妙な読み巧者の表現ではありました。
コメント
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