新潮文庫・堀田善衛著「方丈記私記」の解説は山本健吉でした。
堀田氏とのつきあいを語っているのですが、
後半にこんな言葉がありました。
「それはとにかく氏は、現実を徹底的に生きた者が刻みこんだ記録の勁(つよ)さを、方丈記の中に見ているのだ。そのような勁さを、氏は自分の書くものにも期待し、従って現代を徹底的に生きることを念願してもいるのだ。・・・」(p227)
ここに「勁(つよ)さ」とあり、
そういえば、「勁さ」つながりで、思い浮かぶのが、
元旦の新潮社の新聞広告でした。
(ということで、再度登場。何度書いてみてもよいでしょう)
そこには、ドナルド・キーン氏の本を読む写真が載っており、
大きくこうありました。
「日本人よ、勇気をもちましょう」
せっかく思い浮かんだのですから、
すこし引用を重ねておきます。
「・・長年、そう、もう七十年にもわたって日本文学と文化を研究してきて、私がいまだに感じるのは、この日本人の、『日本的なもの』に対する自信のなさです。違うのです。『日本的』だからいいのです。・・・
こうした災難からも、日本人はきっと立ち直っていくはずだと、私はやがて考えるようになりました。それは、『日本的な勁(つよ)さ』というものを、心にしみて知っているからです。・・・・・
私は今年六月で九十歳になります。『卒寿』です。
震災を機に日本人になることを決意し、昨年、帰化の申請をしました。晴れて国籍がいただけたら、私も日本人の一員として、日本の心、日本の文化を守り育てていくことに微力を尽くします。新しい作品の執筆に向けて、毎日、勉強を続けています。
勁健(けいけん)なるみなさん、物事を再会する勇気をもち、自分や社会のありかたを良い方向に変えることを恐れず、勁く歩を運び続けようではありませんか。」
うん。朝日新聞元旦文化欄のドナルド・キーン氏「叙情詩となって蘇る」という文を、ここにもってきて並べます。
「・・しかし、私は東北が復興すると信じて疑わない。日本は古来より壊滅的な被害を何度も受けてきたが、その度に蘇ったではないか。希望を持ち続けよう。諦め、無関心こそが敵であろう。
ここまで考えて私は、自分の専門である日本文学の中に一体どれほど災害を記録した文学、小説があったかを調べてみる。すると長い歴史の中で、『方丈記』しかないと思えるほど、とても少ないのだ。・・・」
うん。方丈記と勁(つよ)さ。
うん。方丈記の勁さを読む。
堀田氏とのつきあいを語っているのですが、
後半にこんな言葉がありました。
「それはとにかく氏は、現実を徹底的に生きた者が刻みこんだ記録の勁(つよ)さを、方丈記の中に見ているのだ。そのような勁さを、氏は自分の書くものにも期待し、従って現代を徹底的に生きることを念願してもいるのだ。・・・」(p227)
ここに「勁(つよ)さ」とあり、
そういえば、「勁さ」つながりで、思い浮かぶのが、
元旦の新潮社の新聞広告でした。
(ということで、再度登場。何度書いてみてもよいでしょう)
そこには、ドナルド・キーン氏の本を読む写真が載っており、
大きくこうありました。
「日本人よ、勇気をもちましょう」
せっかく思い浮かんだのですから、
すこし引用を重ねておきます。
「・・長年、そう、もう七十年にもわたって日本文学と文化を研究してきて、私がいまだに感じるのは、この日本人の、『日本的なもの』に対する自信のなさです。違うのです。『日本的』だからいいのです。・・・
こうした災難からも、日本人はきっと立ち直っていくはずだと、私はやがて考えるようになりました。それは、『日本的な勁(つよ)さ』というものを、心にしみて知っているからです。・・・・・
私は今年六月で九十歳になります。『卒寿』です。
震災を機に日本人になることを決意し、昨年、帰化の申請をしました。晴れて国籍がいただけたら、私も日本人の一員として、日本の心、日本の文化を守り育てていくことに微力を尽くします。新しい作品の執筆に向けて、毎日、勉強を続けています。
勁健(けいけん)なるみなさん、物事を再会する勇気をもち、自分や社会のありかたを良い方向に変えることを恐れず、勁く歩を運び続けようではありませんか。」
うん。朝日新聞元旦文化欄のドナルド・キーン氏「叙情詩となって蘇る」という文を、ここにもってきて並べます。
「・・しかし、私は東北が復興すると信じて疑わない。日本は古来より壊滅的な被害を何度も受けてきたが、その度に蘇ったではないか。希望を持ち続けよう。諦め、無関心こそが敵であろう。
ここまで考えて私は、自分の専門である日本文学の中に一体どれほど災害を記録した文学、小説があったかを調べてみる。すると長い歴史の中で、『方丈記』しかないと思えるほど、とても少ないのだ。・・・」
うん。方丈記と勁(つよ)さ。
うん。方丈記の勁さを読む。