和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

又始まるぞ冬籠。

2012-01-25 | 他生の縁
竹内政明の中公新書ラクレ「編集手帳」第21巻が、まだ出ないかなあ。と新刊検索してたら、竹内政明著「名言手帳」(大和書房)というのが、出ている。まあ、いいかと購入。

さて、これが私には思いがけない魅力の一冊。
新聞一面コラムが、短いコラムに時事問題をからめる苦労があるとするなら、この「名言手帳」は、そんな苦労から開放されて、のびのびとした短文が息づいており、楽しめるのでした。まずページ右側に著者が選ぶ名言。左ページに竹内氏の文。という構成で108回。
ちょっと、第四章の「愛」についての文が、私にはものたりなかったのですが、これはテレビでごちゃごちゃと語られすぎの悪い影響に感染した一読者の高望みなのかもしれません。

ここでは、一箇所だけ引用。それは37回目にありました。
竹内さんの文のはじまりは、こうです。

「中年にさしかかって結婚を決意した武骨な男(室田日出男)が、心配顔で仕事仲間に訊いた。『結婚してからだいたい何日目に女房の前でオナラをしていいもンか?』。往年の人気テレビドラマ『前略おふくろ様』(倉本聰・脚本)のひとこまである。・・・」

ここに、オナラとあるのでした。余談になりますが、
オナラといえば、小林一茶に

   屁くらべが又始まるぞ冬籠

という句があるなあ。
ということで、オナラつながりで、
ここらで、連想の風呂敷をひろげてみます。

「名言手帳」とおなじような名言名句の一冊で、
私に思い浮かぶのが谷沢永一著「百言百話」(中公新書)。
その「百言百話」のはじまりは、
こんな名句からなのでした。

「俺とお前は違う人間に決まってるじゃねえか。早え話が、お前がイモ食ったって俺のケツから屁が出るか  (映画「男はつらいよ」) 」

谷沢永一氏は、この引用したあとに、
おもむろに、こう書き始めておりました。

「人間はどんなに親しくても、所詮は他人である事情を、これほど見事に言い当てた警句は他になかろう。そのくせ、フーテンの寅さんが、甘ったれをたしなめる時、嬉しくもこの名句を記録してくれた和田誠が、『お楽しみはこれからだPART2』で注記しているように、とにかく『可笑しなセリフ』になっているところが、いかにも映画という手法を生かし得ていて心憎い。世界名句集にも必ず採録すべきである。・・・」



オナラといえば、金子兜太対談
「今、日本人に知ってもらいたいこと」(KKベストセラーズ)
がおもいうかびます。金子兜太氏では
2003年日経新聞1月5日のエッセイが忘れらないのでした。
題は「正月の山国」(これ、本に収録されてるのかどうか?)。
開業医の父親のところに、俳句好きの仲間が集まる。
そこを引用してみます。

「この人たちも正月にはかならず姿を見せていた。」
「男たちは山仕事や畑仕事で鍛えられた強酒の人が多く、飲むほどに気が荒くなった。そんなとき、年配の人が、座を和ますようにはじめるのが、雑俳の冠付(かんむりつけ)の一種ともいえる遊びだったのである。その人は尻取りといっていた・・・」
「年賀の酔いとは別に、いささか尾籠ながら『屁くらべ』と称する遊びごとがはじまることもしばしばだった。放屁の高さや長さ、持続を競うものだ・・・あの頃の正月は、こんなぐあいに、騒々しく、猥雑に、しかしいつもどこかが温(ぬ)くとく過ぎていった。忘れることはできない。」

   安岡章太郎著「放屁抄」からもすこし

「かねがね私は家で父がたびたび放屁するのをきいており、父によれば屁は健康のしるしだというのであった。そして屁にはナギナタ屁とかハシゴ屁とか、いろいろ芸術的な要素を持つものもあって、そういう放屁の名人の輝かしい業績は、いまも記録されているというのである。・・・勿論、なかには堪らないほど臭いおならもあるけれども。・・・」





もういいでしょう。竹内政明氏の文へともどります。
こちらは、オナラの話題が、すりかわって昇華(?)されていくようなのです。それでは、竹内政明氏の文は、そのあと、どう続いていたか?

「ドラマでは仲間たちから『バカだねえ』と茶飲み話のサカナにされるのだが、本物のオナラはともかくも、精神もしくは感情から発するオナラのほうは笑いごとで終わらない。女性の場合ならば、口やかましさ、過度のやきもち、『仕事と私と、どちらが大事なの?』といった紋切り型の詰問に代表される独占欲などが、典型的なオナラだろう。・・・男性は男性で、都合の悪い会話を『ウルサイ』の一語で打ち切る習性をはじめとして、みずから鼻をつまみたくなるようなオナラを朝となく夜となく放っている。」

さて、
竹内さんは最後を、こうしめくくっておりました。

「ありがたい法話を聞かせてくれる高僧も、オナラひとつしただけで威厳が台無しになってしまう。ことわざに言う【百日の説法、屁ひとつ】だが、百年の恋も感情のオナラひとつで冷めてしまうことを思えば、結婚とはたしかに残酷なものかも知れない。
自分の放つオナラであれ、相手の放つオナラであれ、においに慣れて鼻はいずれバカになる。知恵のない解決法ながら、救いといえば救いである。」


ちなみに、これは第四章「愛に生きられる喜びを」から拾った文(p97)。うん。私は、この1ページで、一日楽しめたのでした。まったく、おならはえらい(笑)。



  
コメント
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