和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

人と栖(すみか)と。

2012-01-08 | 短文紹介
堀田善衛著「方丈記私記」を読みました。
私には圧倒される読書となりました。
読んでよかった。
さてっと、どうそれを語れるのか。
そんな大それた事は、あとまわしにしましょう(笑)。

そういえば、田村隆一の詩集「新年の手紙」に

「 わたしは四十八歳 権利金と敷金を払って
  海の近くに小さな家を借りたのだが    」

詩「空耳」に、こういう2行があったのでした。
うん。詩集「新年の手紙」は、この2行から読むと「家」というイメージがつかめそうな気がします。

ところで、堀田善衛著「方丈記私記」のはじまりは

「私が以下に語ろうとしていることは、実を言えば、われわれの古典の一つである鴨長明『方丈記』の鑑賞でも、また解釈、でもない。それは、私の、経験なのだ。」でした。

そのつぎに、昭和20年3月9日の汐留の話になります。
その汐留サロンに集まった人が列挙されるなかに、あれ、田村隆一の名前もあります。

うん。「方丈記私記」の第一章だけでも
紹介しておきましょう。
堀田善衛は、この章で、東京大空襲のことを語っております。

「3月10日の大空襲を期とし、また機ともして、方丈記を読みかえしてみて、私はそれが心に深く突き刺さって来ることをいたく感じた。・・ここに記録されている安元3年4月28日の京の大火災は、年代記的には治承元年であり、長明23歳の時のことである。方丈記が書き下されたのは58歳の時であったから、ほぼ35年前の事件について書いているわけであるが、その記述は、まことに簡潔的確で、火事の模様が眼に見える。」


もちろん、方丈記のその箇所が引用されるのですが、
ここでは、堀田善衛氏の空襲の記述を引用したくなります。


「要するに茫然として真赤な夜空を見上げていたにすぎぬ。近くの、田園調布一、二、三丁目、東玉川町、玉川奥沢町などへ投下された焼夷弾は、あたかもトタン屋根を雪が滑り落ちるような、異様に濁った音をたてて落下して来、あるものは落下途中ですでに火を噴出しているものであった。真赤な夜空に、その広範な合流大火災の火に映えて、下腹を銀色に光らせた、空中の巨大な魚類にも似たB29機は、くりかえしまきかえし、超低空を、たちのぼる火焔の只中へとゆっくりと泳ぎ込んで行くかに見上げられ、終始私は、火のなかを泳ぐ鮫か鱶のたぐいの巨魚類を連想していたものであった。・・・・鮫か鱶のように無表情に、その白銀の下腹に火の色をうつして入れかわりたちかわり八方からゆっくりと泳ぎ込んで来ては大いなる火のかたまりを火の中に投げ込んで行く巨大な魚類を見上げていて、ふと頭に飛び込んで来た方丈記の一節を口の端に浮べてみ、その中の人、現し心あらむや、何を言ってやがる、などとぶつぶつ独語をしていて、しかし、卒然としてその節の全文を思い浮かべてみると、それが都市に起る大火災についての、意外に・・・精確にして徹底的な観察に基づいた、事実認識においてもプラグマッティクなまでに卓抜な文章、ルポルタージュとしてもきわめて傑出したものであることに、思いあたったのであった。」

うん。平家物語への言及も、こんなふうです

「同じく、平家物語にもこの火事についての記述があるが、これは方丈記の文章を利用して、というよりはこれに尾ヒレその他のびらびらをくっつけて飾ったものであるにすぎない。他にも辻風や福原遷都についても、方丈記を台にしてびらびらをつけたと推(すい)されるものが平家物語にはある。・・・・平家物語の作者が、どうじたばたしてみても、長明観察の外へは出られないのである。ひとたび表現されてしまったものの勁(つよ)さというものを、平家物語の光りに照して方丈記をかえりみるときに、感じさせられることである。」



さて、がぜん面白く方丈記の内容に踏み込んでゆくのは第三章以降。
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