堀田善衛著「方丈記私記」の第四章のはじまりは、こうでした。
「3月10日の東京大空襲から、同月24日の上海への出発までの短い期間を、私はほとんど集中的に方丈記を読んですごしたものであった。・・短いものでしかない。だから私はほとんどこれを暗誦出来るほどに、読みかえし読みかえししたわけであった。
しかし、方丈記の何が私をしてそんなに何度も読みかえさせたものであったか。
それは、やはり戦争そのものであり、また戦禍に遭逢してのわれわれ日本人民の処し方、精神的、内面的な処し方についての考察に、何か根源的に資してくれるものがここにある、またその処し方を解き明かすためのよすがとなるものがある、と感じたからであった。また、現実の戦禍に遭ってみて、ここに、方丈記に記述されてある、大風、火災、飢え、地震などの災殃の描写が、実に、読む方としては凄然とさせられるほどの的確さをそなえていることに深くうたれたからでもあった。またさらにもう一つ、この戦禍の先の方にある筈のもの、前章及び前々章にしるした新たなる日本についての期待の感及びそのようなものは多分ありえないのではないかという絶望感、そのような、いわば政治的、社会的転変についても示唆してくれるものがあるように思ったからでもあった。政治的、社会的転変についての示唆とは、つまりは一つの歴史感覚、歴史観ということでもある。」
ところで、
「方丈記私記」を単行本で読んだのですが、
文庫では新潮文庫とちくま文庫で出ておりました。
新潮文庫は、解説が山本健吉。
こちらは、「古書 風流夢苑」に注文。
400円+送料160円(クロネコメール便)で560円なり。
ちくま文庫の方は、BK1に注文。
最後に対談が掲載されております。
「國文學」1980年9月号に掲載されたところので、
堀田善衛と五木寛之の対談。うん。おもしろかった。
「3月10日の東京大空襲から、同月24日の上海への出発までの短い期間を、私はほとんど集中的に方丈記を読んですごしたものであった。・・短いものでしかない。だから私はほとんどこれを暗誦出来るほどに、読みかえし読みかえししたわけであった。
しかし、方丈記の何が私をしてそんなに何度も読みかえさせたものであったか。
それは、やはり戦争そのものであり、また戦禍に遭逢してのわれわれ日本人民の処し方、精神的、内面的な処し方についての考察に、何か根源的に資してくれるものがここにある、またその処し方を解き明かすためのよすがとなるものがある、と感じたからであった。また、現実の戦禍に遭ってみて、ここに、方丈記に記述されてある、大風、火災、飢え、地震などの災殃の描写が、実に、読む方としては凄然とさせられるほどの的確さをそなえていることに深くうたれたからでもあった。またさらにもう一つ、この戦禍の先の方にある筈のもの、前章及び前々章にしるした新たなる日本についての期待の感及びそのようなものは多分ありえないのではないかという絶望感、そのような、いわば政治的、社会的転変についても示唆してくれるものがあるように思ったからでもあった。政治的、社会的転変についての示唆とは、つまりは一つの歴史感覚、歴史観ということでもある。」
ところで、
「方丈記私記」を単行本で読んだのですが、
文庫では新潮文庫とちくま文庫で出ておりました。
新潮文庫は、解説が山本健吉。
こちらは、「古書 風流夢苑」に注文。
400円+送料160円(クロネコメール便)で560円なり。
ちくま文庫の方は、BK1に注文。
最後に対談が掲載されております。
「國文學」1980年9月号に掲載されたところので、
堀田善衛と五木寛之の対談。うん。おもしろかった。