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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

漁師系東京人三世。

2012-08-18 | 地域
谷川健一著「渚の思想」(晶文社)の次に
小関与四郎写真集「九十九里浜」(春風社)を手にして、
つぎは、未読本だった
星野博美著「コンニャク屋漂流記」(文藝春秋)を読み始める。

「祖父は外房の漁師の六男で、祖母はやはり外房の農家の次女だった。祖父が東京に出て町工場を始めたため・・在京漁師三世、あるいは漁師系東京人三世といった感じだろうか。体のどこかに漁師の血が流れていることは感じる。・・・・・わが家の常識が外の世界ではまったく通用せず、実はそれが漁師の常識だったと驚かされたことも一度や二度ではない。」(p8)
とはじまるのでした。

「ところは千葉は外房、御宿(おんじゅく)の岩和田(いわわだ)という漁師町。漁師の血を受け継ぐわが家の屋号を『コンニャク屋』という。・・・私の親戚筋ではいまなお屋号で互いを呼びあっている。」(p12)

うん。九十九里浜の下の方に、御宿の岩和田はあります。
後半は、そのルーツをたどりながら、和歌山県の加太・湯浅・広川へと出かけてお墓を探したりしております。

「千葉県側の様々な資料を見ていると、『紀州漁民の活躍は享保年間頃から衰退していく』と声を揃えている。そのきっかけの一つになったのが、元禄16(1703)年11月の房総半島一帯を襲った。『元禄の大津波』だ。母の家で代々語り継がれ、幼い私に津波に対する恐怖心を植えつけた、あの大津波である。・・・紀州からの房総出漁は元和年間(1615~24)から活況を呈していたのだから、一世紀もたてば、漁撈技術を習得した地網が育つのも当然だ。『きゅうじろう』と『コンニャク屋』の兄弟はおそらく地網の一員となったのだろう。」(p284)

まだ、読んでいる途中なのですが、
うん、読んでよかったなあ。
コメント
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