文学界12月号に
追悼丸谷才一とあるので、
そこだけ読みたく、注文。
それが今日とどきました。
池澤夏樹・辻原登・湯川豊の追悼鼎談が掲載されております。
湯川氏の言葉が、私は印象に残ります。
湯川】 丸谷さん自身の言葉でいうと社交ですよね。ただ、何度もインタビューして思ったのは、丸谷さん自身は、生まれながらの社交的人間ではなかった。東京育ちの人のように談論風発なのではなく、一生懸命準備しないと話せなかった人です。実は。社交性というものを自分でつくりながら、世界への認識の根本にしていったんじゃないかと思います。
池澤】 だから、きっちり挨拶文も原稿を書いていった。
湯川】 ほんとに都会育ちの洒落た人はあれはやらないです。僕も隣の県の人間ですからよくわかります。・・・・立て板に水ではなく、朴訥にやるんですよ。銀座なんかに行くと、そういう話をふっとやる。
うん。そういえば、丸谷氏と同じく山形県鶴岡市出身の渡部昇一氏のことを思い浮かべるのでした。WILL2011年5月号に渡部昇一氏の追悼文「谷沢永一先生に教わったこと」がありました。そこでは、カラオケクラブへ行くことに触れられておりました。
「・・谷沢先生とお会いする機会が特に増えたのは、松下幸之助さんが作った『京都座会』ができてからでした。山本七平氏や堺屋太一氏をはじめとして十人前後のメンバー・・・その研究会の後には毎回、『もう一席』ということで赤坂のカラオケクラブへ行っていました。谷沢先生は座持ちがうまくて、話題豊富、世間話の宝庫のようで、談論風発。非常に面白い。明るく楽しいお話しされるので、ホステスたちも喜んで聞いていました。華のある方なのです。
ところが、いざ歌う段になると、選ぶ歌は『昭和枯れすすき』や『風の盆恋歌』など。どの歌もみんな湿っぽく貧乏臭くて辛気臭い、景気の悪い歌ばかり。『さびしくなければ谷沢永一ではない』などと冷やかされていました。その対比を本当に懐かしく思います。
また、そのクラブに行くと私はトイレが近いもので――女房も初デートの時に『よくトイレに行く人だな』と思ったというほど――赤坂のクラブで二、三時間のうちに二回ほどトイレに行くのがいつものことでした。」
こういう際に、渡部氏は丸谷氏のように、「朴訥にやる」のでしょうか?
などと思ったりするのでした。
私は文学界の追悼文しか読まないのですが、
(小説は苦手)それでも追悼鼎談とほかの追悼文で満腹感を味わえました。
あれこれと思い浮かぶ読み甲斐のあるものでした。
追悼丸谷才一とあるので、
そこだけ読みたく、注文。
それが今日とどきました。
池澤夏樹・辻原登・湯川豊の追悼鼎談が掲載されております。
湯川氏の言葉が、私は印象に残ります。
湯川】 丸谷さん自身の言葉でいうと社交ですよね。ただ、何度もインタビューして思ったのは、丸谷さん自身は、生まれながらの社交的人間ではなかった。東京育ちの人のように談論風発なのではなく、一生懸命準備しないと話せなかった人です。実は。社交性というものを自分でつくりながら、世界への認識の根本にしていったんじゃないかと思います。
池澤】 だから、きっちり挨拶文も原稿を書いていった。
湯川】 ほんとに都会育ちの洒落た人はあれはやらないです。僕も隣の県の人間ですからよくわかります。・・・・立て板に水ではなく、朴訥にやるんですよ。銀座なんかに行くと、そういう話をふっとやる。
うん。そういえば、丸谷氏と同じく山形県鶴岡市出身の渡部昇一氏のことを思い浮かべるのでした。WILL2011年5月号に渡部昇一氏の追悼文「谷沢永一先生に教わったこと」がありました。そこでは、カラオケクラブへ行くことに触れられておりました。
「・・谷沢先生とお会いする機会が特に増えたのは、松下幸之助さんが作った『京都座会』ができてからでした。山本七平氏や堺屋太一氏をはじめとして十人前後のメンバー・・・その研究会の後には毎回、『もう一席』ということで赤坂のカラオケクラブへ行っていました。谷沢先生は座持ちがうまくて、話題豊富、世間話の宝庫のようで、談論風発。非常に面白い。明るく楽しいお話しされるので、ホステスたちも喜んで聞いていました。華のある方なのです。
ところが、いざ歌う段になると、選ぶ歌は『昭和枯れすすき』や『風の盆恋歌』など。どの歌もみんな湿っぽく貧乏臭くて辛気臭い、景気の悪い歌ばかり。『さびしくなければ谷沢永一ではない』などと冷やかされていました。その対比を本当に懐かしく思います。
また、そのクラブに行くと私はトイレが近いもので――女房も初デートの時に『よくトイレに行く人だな』と思ったというほど――赤坂のクラブで二、三時間のうちに二回ほどトイレに行くのがいつものことでした。」
こういう際に、渡部氏は丸谷氏のように、「朴訥にやる」のでしょうか?
などと思ったりするのでした。
私は文学界の追悼文しか読まないのですが、
(小説は苦手)それでも追悼鼎談とほかの追悼文で満腹感を味わえました。
あれこれと思い浮かぶ読み甲斐のあるものでした。