谷崎潤一郎著「文章読本」は
古本の最後のページをひらくと、昭和9年10月28日印刷
昭和9年11月5日発行となっております
(ちなみに、手持ちのは昭和17年140版発行とあります)。
さてっと、昭和9年のころ
「支那」という言葉はごく普通に使われておりました。
谷崎潤一郎の「文章読本」には、こんな箇所、
「我等日本人は戦争には強いが、いつも外交の談判になると、訥弁のために引けを取ります。国際聯盟の会議でも、しばしば日本の外交官は支那の外交官に云ひまくられる。われわれの方に正当な理由が十二分にありながら、各国の代表は支那人の弁舌に迷はされて、彼の方へ同情する。古来支那や西洋には雄弁を以て聞えた偉人がありますが、日本の歴史には先づ見当たらない。その反対に、我等は昔から能弁の人を軽蔑する風があつた。・・・・」
ついつい、現在の尖閣諸島問題をダブらせてしまいます。
現在は、昭和9年頃と、
どこが、同じで、
どこが、かわったのか?
そういえば、文章読本の最初には、
こうあるのでした。
「かえすがえすも言語は万能なものでないこと、
その働きは不自由であり、
時には有害なものであることを、
忘れてはならないのであります。」
この言葉を、かみしめるためにも、
あらためて、谷崎潤一郎著「文章読本」を読み直そう。
古本の最後のページをひらくと、昭和9年10月28日印刷
昭和9年11月5日発行となっております
(ちなみに、手持ちのは昭和17年140版発行とあります)。
さてっと、昭和9年のころ
「支那」という言葉はごく普通に使われておりました。
谷崎潤一郎の「文章読本」には、こんな箇所、
「我等日本人は戦争には強いが、いつも外交の談判になると、訥弁のために引けを取ります。国際聯盟の会議でも、しばしば日本の外交官は支那の外交官に云ひまくられる。われわれの方に正当な理由が十二分にありながら、各国の代表は支那人の弁舌に迷はされて、彼の方へ同情する。古来支那や西洋には雄弁を以て聞えた偉人がありますが、日本の歴史には先づ見当たらない。その反対に、我等は昔から能弁の人を軽蔑する風があつた。・・・・」
ついつい、現在の尖閣諸島問題をダブらせてしまいます。
現在は、昭和9年頃と、
どこが、同じで、
どこが、かわったのか?
そういえば、文章読本の最初には、
こうあるのでした。
「かえすがえすも言語は万能なものでないこと、
その働きは不自由であり、
時には有害なものであることを、
忘れてはならないのであります。」
この言葉を、かみしめるためにも、
あらためて、谷崎潤一郎著「文章読本」を読み直そう。