和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

時には有害なもの。

2012-11-21 | 短文紹介
谷崎潤一郎著「文章読本」は
古本の最後のページをひらくと、昭和9年10月28日印刷
昭和9年11月5日発行となっております
(ちなみに、手持ちのは昭和17年140版発行とあります)。

さてっと、昭和9年のころ
「支那」という言葉はごく普通に使われておりました。
谷崎潤一郎の「文章読本」には、こんな箇所、

「我等日本人は戦争には強いが、いつも外交の談判になると、訥弁のために引けを取ります。国際聯盟の会議でも、しばしば日本の外交官は支那の外交官に云ひまくられる。われわれの方に正当な理由が十二分にありながら、各国の代表は支那人の弁舌に迷はされて、彼の方へ同情する。古来支那や西洋には雄弁を以て聞えた偉人がありますが、日本の歴史には先づ見当たらない。その反対に、我等は昔から能弁の人を軽蔑する風があつた。・・・・」


ついつい、現在の尖閣諸島問題をダブらせてしまいます。
現在は、昭和9年頃と、
どこが、同じで、
どこが、かわったのか?

そういえば、文章読本の最初には、
こうあるのでした。

「かえすがえすも言語は万能なものでないこと、
 その働きは不自由であり、
 時には有害なものであることを、
 忘れてはならないのであります。」


この言葉を、かみしめるためにも、
あらためて、谷崎潤一郎著「文章読本」を読み直そう。
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