文學界12月号の追悼鼎談を、
もう少し引用。
池澤夏樹・辻原登・湯川豊の3名。
そこでは、密葬の様子もチラリと知ることができました。
「密葬で、長男の亮さんが『父は戦前という時代が大嫌いで、戦後が大好きだった。息子としては、父はちょっと戦後贔屓がすぎると思ったけれども』と挨拶されました。」と池澤さん。
辻原さんは「池澤さんが密葬の弔辞で言ってましたね。『この葬儀に一つだけ欠けているものがある。丸谷さんのスピーチだ』って。」
それに、池澤さんが答えて
「なんだか、最後に丸谷さんから『みんな、ありがとう』っていうスピーチがありそうな気がして。おかしいですよね。追悼文を書いても、こうして鼎談をやってても、丸谷さんが読まないのが理不尽な気がする。」
池澤】 今、『毎日新聞「今週の本棚」20年名作選】全三巻を選んでいてつくづくそう思います。二十年たっても読めるんですよ、書評が一個の短いエッセイとして。で、とてもいい気分になるんです。われわれはこの二十年で、バブルの崩壊もあったし、大事件や震災も経験したけれど、しかしこれだけいい本を出してきたじゃないかという意味において、人を明るくするのね。人を明るくすることは、丸谷さんのおおきな力だと思う。(p251)
鼎談の最後の方も引用させてください。
辻原】 僕、丸谷さんに怒られたことが二回あります。一つは読売新聞にも書きましたが、文学賞受賞式で僕がしたスピーチについて。もう一つは、銀座で新聞記者の人たちと飲んでいて、ある作家のゴシップになった。僕はつい調子に乗って、あの人は小説が下手だみたいなことを言ったんです。そしたら丸谷さんがキッとなって、『きみね、ヘボな将棋指しのことをヘボだって言うのは、もっとヘボだ』。それはやっぱり、すごく効きました。
・・・・・・・・
湯川】 僕は叱られたのはほんとに一回だけ。編集者として会った最初の頃に、頼まれたことを不義理して一ヵ月ぐらい放っておくうちにだんだん重荷になって、しばらく丸谷さんのところへ行けなくなってしまったんです。二ヵ月ぐらいたってからやっと、長い長いお詫びの手紙を出したら、電話がかかってきて、『きみねえ、ああいう長い手紙なんか書く必要ないんだよ。間違ったときにすぐに謝る。電話で謝るのがいちばんいいんだよ』。それ以後、肝に銘じています。
池澤】 確かに、筆まめでいらした。これは特筆すべきですね。すぐにはがきが来る、ファックスが来る。これも社交。大事なこと。
辻原】 結局、楽しかったな。丸谷さんがいて、小説を書いたり書評したり、ときどき会ったり、あるいはこうして丸谷さんがいなくなっても、丸谷さんの話をする時間は・・・・。
そうそう。11月18日。つまり今日の今週の本棚は湯川豊さんが、松家仁之著「火山のふもとで」(新潮社)の書評をしておりました。
その書評はこうしめくくられております。
「これは五十歳を過ぎた作者が書いた初めての長編小説であり、小説を書くことへのあふれるような意欲と、既にして身についていた固有の文体と技巧がごく自然に結びついて、まぎれもない傑作が生まれたのである。」
読んでいただきたい丸谷才一氏がいなくとも、「今週の本棚」に、書評を書く湯川氏がおりました。
もう少し引用。
池澤夏樹・辻原登・湯川豊の3名。
そこでは、密葬の様子もチラリと知ることができました。
「密葬で、長男の亮さんが『父は戦前という時代が大嫌いで、戦後が大好きだった。息子としては、父はちょっと戦後贔屓がすぎると思ったけれども』と挨拶されました。」と池澤さん。
辻原さんは「池澤さんが密葬の弔辞で言ってましたね。『この葬儀に一つだけ欠けているものがある。丸谷さんのスピーチだ』って。」
それに、池澤さんが答えて
「なんだか、最後に丸谷さんから『みんな、ありがとう』っていうスピーチがありそうな気がして。おかしいですよね。追悼文を書いても、こうして鼎談をやってても、丸谷さんが読まないのが理不尽な気がする。」
池澤】 今、『毎日新聞「今週の本棚」20年名作選】全三巻を選んでいてつくづくそう思います。二十年たっても読めるんですよ、書評が一個の短いエッセイとして。で、とてもいい気分になるんです。われわれはこの二十年で、バブルの崩壊もあったし、大事件や震災も経験したけれど、しかしこれだけいい本を出してきたじゃないかという意味において、人を明るくするのね。人を明るくすることは、丸谷さんのおおきな力だと思う。(p251)
鼎談の最後の方も引用させてください。
辻原】 僕、丸谷さんに怒られたことが二回あります。一つは読売新聞にも書きましたが、文学賞受賞式で僕がしたスピーチについて。もう一つは、銀座で新聞記者の人たちと飲んでいて、ある作家のゴシップになった。僕はつい調子に乗って、あの人は小説が下手だみたいなことを言ったんです。そしたら丸谷さんがキッとなって、『きみね、ヘボな将棋指しのことをヘボだって言うのは、もっとヘボだ』。それはやっぱり、すごく効きました。
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湯川】 僕は叱られたのはほんとに一回だけ。編集者として会った最初の頃に、頼まれたことを不義理して一ヵ月ぐらい放っておくうちにだんだん重荷になって、しばらく丸谷さんのところへ行けなくなってしまったんです。二ヵ月ぐらいたってからやっと、長い長いお詫びの手紙を出したら、電話がかかってきて、『きみねえ、ああいう長い手紙なんか書く必要ないんだよ。間違ったときにすぐに謝る。電話で謝るのがいちばんいいんだよ』。それ以後、肝に銘じています。
池澤】 確かに、筆まめでいらした。これは特筆すべきですね。すぐにはがきが来る、ファックスが来る。これも社交。大事なこと。
辻原】 結局、楽しかったな。丸谷さんがいて、小説を書いたり書評したり、ときどき会ったり、あるいはこうして丸谷さんがいなくなっても、丸谷さんの話をする時間は・・・・。
そうそう。11月18日。つまり今日の今週の本棚は湯川豊さんが、松家仁之著「火山のふもとで」(新潮社)の書評をしておりました。
その書評はこうしめくくられております。
「これは五十歳を過ぎた作者が書いた初めての長編小説であり、小説を書くことへのあふれるような意欲と、既にして身についていた固有の文体と技巧がごく自然に結びついて、まぎれもない傑作が生まれたのである。」
読んでいただきたい丸谷才一氏がいなくとも、「今週の本棚」に、書評を書く湯川氏がおりました。