毎日新聞2012年11月18日「今週の本棚」。
そこに、渡辺保氏の書評。
佐高信著「飲水思源 メディアの仕掛人(プロデューサー)、徳間康快」をとりあげておられました。気になって本を取り寄せ読んでみました。第一章は、私にはつまらない。でも渡辺氏の書評のおかげで、放り投げずに、最後から読み始めると、これが面白い。
書評のなかに「ここに登場する人物は百人に近いだろう。」とありました。
たしかに、さまざまな人が登場しております。
私がおやっと思ったのは、竹内好氏が登場する箇所でした。
そこにこんな六か条が引用されております。
「編集権は『中国の会』にあり、ユニークな六ヵ条のとりきめを掲げていた。
一、民主主義に反対はしない
二、政治に口を出さない
三、真理において自他を差別しない
四、世界の大勢から説きおこさない
五、良識、公正、不偏不党を信用しない
六、日中問題を日本人の立場で考える
私はこの雑誌を購読し、毎号載る竹内のエッセイを愛読していた。
多分、徳間も六ヵ条のほとんどに賛同していただろう。緒方竹虎に熱心に誘われ、自らもかなり心動いていた政治家の夢があった故に、あるいは、二の『政治に口を出さない』には共感しなかったかもしれないが、『世界の大勢から説きおこさない』や、『良識、公正、不偏不党を信用しない』は、そのまま徳間の姿勢でもあった。・・・・そして、1972年、日中国交回復が成った年の12月号で、使命を終えたとして休刊したのである。・・・・」(p116~117)
カラオケの話が出たかと思うと、
つぎに、高倉健につながったりしております(p72~74)。
「高倉がロケ中に廃屋のビルの三階から二階に転落し、骨折しただけでなく、精神的にも参って悩みの底にあった時、大映を引き受けた徳間が高倉の所に何度もやって来て、『健ちゃん、仕事はどんどんやらんといかんぞ。悩むのは後でいい』と励ました。『迷う暇もないモーレツな誘い』だったと高倉は振り返っているが、『悩むのは後でいい』とは、いかにも徳間らしい。」
「週刊金曜日」に連載されたというこの一冊。
渡辺保氏の書評を読まなければ、手にしてなかったろうなあ。
書評っていいですね(笑)。
そこに、渡辺保氏の書評。
佐高信著「飲水思源 メディアの仕掛人(プロデューサー)、徳間康快」をとりあげておられました。気になって本を取り寄せ読んでみました。第一章は、私にはつまらない。でも渡辺氏の書評のおかげで、放り投げずに、最後から読み始めると、これが面白い。
書評のなかに「ここに登場する人物は百人に近いだろう。」とありました。
たしかに、さまざまな人が登場しております。
私がおやっと思ったのは、竹内好氏が登場する箇所でした。
そこにこんな六か条が引用されております。
「編集権は『中国の会』にあり、ユニークな六ヵ条のとりきめを掲げていた。
一、民主主義に反対はしない
二、政治に口を出さない
三、真理において自他を差別しない
四、世界の大勢から説きおこさない
五、良識、公正、不偏不党を信用しない
六、日中問題を日本人の立場で考える
私はこの雑誌を購読し、毎号載る竹内のエッセイを愛読していた。
多分、徳間も六ヵ条のほとんどに賛同していただろう。緒方竹虎に熱心に誘われ、自らもかなり心動いていた政治家の夢があった故に、あるいは、二の『政治に口を出さない』には共感しなかったかもしれないが、『世界の大勢から説きおこさない』や、『良識、公正、不偏不党を信用しない』は、そのまま徳間の姿勢でもあった。・・・・そして、1972年、日中国交回復が成った年の12月号で、使命を終えたとして休刊したのである。・・・・」(p116~117)
カラオケの話が出たかと思うと、
つぎに、高倉健につながったりしております(p72~74)。
「高倉がロケ中に廃屋のビルの三階から二階に転落し、骨折しただけでなく、精神的にも参って悩みの底にあった時、大映を引き受けた徳間が高倉の所に何度もやって来て、『健ちゃん、仕事はどんどんやらんといかんぞ。悩むのは後でいい』と励ました。『迷う暇もないモーレツな誘い』だったと高倉は振り返っているが、『悩むのは後でいい』とは、いかにも徳間らしい。」
「週刊金曜日」に連載されたというこの一冊。
渡辺保氏の書評を読まなければ、手にしてなかったろうなあ。
書評っていいですね(笑)。