和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

読書二遍。

2012-11-23 | 短文紹介
谷沢永一著「古典の智恵生き方の智恵」(PHP)に

谷崎潤一郎の文章読本から引用された文がありました。
「感覚を研くには」

 感覚を研くにはどうすればいいかと云うと、
 出来るだけ多くのものを、繰り返し読むこと
 が第一であります。次に
 実際に自分で作ってみること
 が第二であります。
 右の第一の条件は、あえて文章に限ったことではありません。
 総て感覚と云うものは、何度も繰り返して感じるうちに
 鋭敏になるのであります。

こうして文章読本からの引用をしたあとに、
谷沢氏自身の言葉が、書き込まれているのでした。
そこも、すこし引用。

「・・・文章力その他の場合は仲間と競いあって、適当な刺激を受けるのが有効なのではあるまいか。とくにまだ幼い時や若い頃に、周囲から励まされると成長が早いようである。人が成長してゆく時期において最も幸福な条件は、身近かな周囲に、自分を認めてくれる人、従って期待し励ましてくれる先輩や仲間を見出す喜びであろう。『周囲から励まされると成長が早いようである』という観察は至言である。
人間には必ずなにかどこかに得手がある。それを自覚して励みとするまでには修練が要る。まだ至らぬ技能をくりかえして真髄に達するよう、辛抱を重ねるしかほかに途はないであろう。」(p27)


うん。「くりかえし」ですか。
そういえば、梅棹忠夫著「知的生産の技術」の
6「読書」に、「本は二どよむ」というのがあったなあ。

「一ぺんよんでからつんどくのである。よみおわって、鉛筆で印をつけた本は、しばらく、書斎の机の上に、文字どおりつみあげてある。・・・数日後、または数週間後におこなうのである。・・・こういうやりかたをやってみると、これは、実質的には一冊の本を二どよむということなのだ。ただし、二ど目のよみかたは、きわめて能率的である。短時間で、しかもだいじのところだけはしっかりおさえる、ということになる。この段階ではじめて気づくこともおおいし、全体の理解がすすむのがつねである。・・・今日のように本をたくさんよまねばならぬ時代にあっては、一冊の本をなんどもよむなどということは、事実上できはしないのだ。しかし、なんどもよむほどに理解がすすむのは事実である。そこで、実際的で効果のある方法として、わたしはこういう『読書二遍』法を実行しているのである。二どの読書のあいだにはさまった『つん読』も勘定にいれると、三どよんだことになるであろうか。」(p110~111)

うん。『読書二遍』は、
しているつもりでも、していないなあ。
これから、することにいたします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする