2006年11月23日の当ブログを、
読んでいる方がいて、私も再読する(笑)。
それでもって、
山村修著「遅読のすすめ」(新潮社)を
あらためて本棚からとりだしてくる。
ちなみに、ちくま文庫からは
「増補 遅読のすすめ」が出てました。
パラパラとめくると、
今回は、第3章「暮しの時間」に感銘。
そのはじまりだけでも引用。
「速く読もうとすると、
ちんぷんかんぷんで手も足も出ず、
どうしてもゆっくり読まざるをえない文章があるもので、
私にとって吉田健一の文章などはその最たるものの一つである。
それを読むのに、なにか格別な知識とか
教養とか感受性などが要求されるということではないと思う。
文章のなかに、いわばゆったり息づいているものがあって、
必要なのは、読み手のほうの呼吸をそれに合せて調えることである。
それは少なくとも私にとっては比喩ではなく、
吉田健一の本を開いたとき、じっさいに呼吸を意識的に
調えている。そうしないと読めない。
面倒だ。しかしそのかわり、呼吸がうまく合ってくると、
ものを読むことのうれしさがわいてくることがある。」
う~ん。
この章は、ここから楽しめるのですが、ここまで。
ちなみに、ここ数日で、
吉田健一の本の読み方を
教わった気になりました(笑)。
読んでいる方がいて、私も再読する(笑)。
それでもって、
山村修著「遅読のすすめ」(新潮社)を
あらためて本棚からとりだしてくる。
ちなみに、ちくま文庫からは
「増補 遅読のすすめ」が出てました。
パラパラとめくると、
今回は、第3章「暮しの時間」に感銘。
そのはじまりだけでも引用。
「速く読もうとすると、
ちんぷんかんぷんで手も足も出ず、
どうしてもゆっくり読まざるをえない文章があるもので、
私にとって吉田健一の文章などはその最たるものの一つである。
それを読むのに、なにか格別な知識とか
教養とか感受性などが要求されるということではないと思う。
文章のなかに、いわばゆったり息づいているものがあって、
必要なのは、読み手のほうの呼吸をそれに合せて調えることである。
それは少なくとも私にとっては比喩ではなく、
吉田健一の本を開いたとき、じっさいに呼吸を意識的に
調えている。そうしないと読めない。
面倒だ。しかしそのかわり、呼吸がうまく合ってくると、
ものを読むことのうれしさがわいてくることがある。」
う~ん。
この章は、ここから楽しめるのですが、ここまで。
ちなみに、ここ数日で、
吉田健一の本の読み方を
教わった気になりました(笑)。