和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

うたを うたうとき

2014-03-09 | 詩歌
まど・みちお追悼文が
朝日新聞3月4日に載っておりました。
ねじめ正一さん。題して「日常脱ぎ捨てた深い言葉」。
そこにこんな箇所。

「20年前までは、まどさんの詩は私から遠かった。
ずっとまどさんのことを子供向けのぞうさん詩人だと
思っていた。ところが、
『うたを うたうとき』という詩を読んだとき、
私は私の詩の読み方の浅さを恥じた。

 うたを うたう とき
 わたしは からだを ぬぎすてます

この初めの2行を読んだとき、
まどさんの詩は平易なひらがなの詩なのに、
現代詩を超えていると思った。
現代詩のように人間の内面や普遍的な
真理は抽象的観念的な言葉でしか
表現できないと思っていたが、
まどさんの詩は平易なひらがなの詩なのに、
きちんと人の心に届いている。
つまり、からだという日常を脱ぎ捨てなければ
詩は書けないのだ。
世の中のしがらみや野心を脱ぎ捨てなければ、
人の心を打つ詩の言葉は出てこないということを、
まどさんの詩から教えてもらった。」

うん。
さっそく「まど・みちお全詩集」を
とりだしてくる。もっとも、私は
新改訂版は持っていなくて、
最初に出された1992年9月の本。

その「1970~1979」にありました。
せっかくなので、引用しましょう(笑)。

  うたを うたうとき

 うたを うたう とき
 わたしは からだを ぬぎます
 
 からだを ぬいで
 こころ ひとつに なります

 こころ ひとつに なって
 かるがる とんでいくのです

 うたが いきたい ところへ
 うたよりも はやく
 
 そして
 あとから たどりつく うたを
 やさしく むかえてあげるのです


この詩を引用していたら、私に、
丸山薫の詩が思い浮かびました。
「学校遠望」と「唱歌」の二篇。
うん。ここでは一篇を引用します。

  唱歌

 先生がオルガンを
 おひきになると
 オルガンのキイから
 紅(あか)い
 青い
 金色の
 ちがった形の鳥が
 はばたいて出て
 くるくる
 ぼくたちの頭の上を
 まわりはじめた

 教室の 高いところ
 窓ガラスが一枚 こわれていて
 やがて 小鳥たちは
 そこから
 遠い空へ逃げていった
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