和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

学問と経験とのある人が。

2014-03-07 | 本棚並べ
向井敏著「本のなかの本」(毎日新聞社)に
中野重治著「本とつきあう法」を紹介した
「読書遍歴の醍醐味を披露」(p142~143)があります。

そこで、向井さんはこう指摘しております。

「『本とつきあう法』は昨今しきりに刊行される
読書論のはしりともなった本だが、集中の圧巻
『旧刊案内』のなかに、芳賀矢一、杉谷代水の共著になる
『作文講話及文範』、『書簡文講話及文範』に触れた章がある。
文章と手紙の書き方を説いたこの古い二冊の本のために、
中野重治はその美質を簡潔的確に評したうえ、
書評史上まれに見るすばらしい言葉を捧げた。
その頌辞に親しく接するだけのためにも、
この本はひもとくに値する。いわく、

 ああ、学問と経験とのある人が、
材料を豊富にあつめ、手間をかけて、
実用ということで心から親切に書いてくれた
通俗の本というものは何といいものだろう。」


うん。おかげで私は、
「作文講話及文範」「書簡文講話及文範」を
知る事ができました。

さてっと、
谷沢永一著「読書通」(学研新書)を
何げなくパラパラとひらくと、
市川本太郎氏をとりあげた箇所で
こんな箇所がありました。

「むかし中野重治は、ああ、学問と経験とのある人が、
材料を豊富にあつめ、手間をかけて、実用ということで
心から親切に書いてくれた通俗の本というものは
何といいものだろう(「旧刊案内」昭和28年)と記した。
『日本儒教史』は、通俗の本、ではないけれど、
親切、に書かれたという点では、
他の書を引き離して遥かに際立っている。
この述作は、利用する側にとって役に立つようにと、
専らそれのみを念じて懇篤(こんとく)に書かれた。
自家の見識を世に誇って人を感心させるためではなく、
ひたすら、実用、を志す一念によって仕上げられている。
日本儒学史の分野で、読者が知りたいと願う
細部の事実が網羅されていると私は思う。
・ ・・・・・・       
『日本儒教史』は上古篇に始まりすべて五冊に達するが、
その精髄は四巻五巻二冊にわたる近世篇である。」(p145~147)


う~ん。
これぞというときに
「ああ、学問と経験とのある人が・・・」
を引用したのだろうなあ。


コメント
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