和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

羨ましいなあ。

2014-03-27 | 地域
丸谷才一著「思考のレッスン」(文藝春秋)の
レッスン1に

「羨ましいなあ。司馬さんは実に条件に恵まれていた。
大坂には立派な図書館がいっぱいあったわけです。
ところが、鶴岡にはそもそも図書館がなかった(笑)。
僕の行った山形県立鶴岡中学校は、
僕の在学中、火事で丸焼けになったんです。
校舎は再建されましたが、本が全部焼けちゃったから、
図書館がない。
市立図書館というものが一応はありましたけれど、
本はまったく貧弱でね。しかも、
図書館の司書が、本を貸してくれない。
あるとき、徳永直の『太陽のない街』という本を
借りようとしたんですね。そうしたら、
女の司書が、『中学生には、これは貸すわけに行きません』
と言って貸さない。横暴な司書だったなあ。
あの頃は、そういう大人が多かったでしょう。
つまり、頭ごなしというか、官僚的というか、
教育的態度なんかまったくない。いや、彼女の場合は逆に
『こんな本を子供に読ませてはいけない』と、
教育的態度が旺盛すぎたのかな。
そんなことじゃあ、僕は諦めない。
別の日、男の司書がいるときに持ってったら、
こちらはすんなり貸してくれました。・・・・
とにかくそういうことがあって、
図書館がそもそも貧弱な上に、本を貸してくれない。
司馬さんとはたいへんな違いだ(笑)。」(p12~13)
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司馬さんと図書館。

2014-03-27 | 本棚並べ
だいぶ前になりますが、
週刊朝日増刊号(1996年)として出た
未公開講演録愛蔵版「司馬遼太郎が語る日本」。
表紙に司馬さんの半身がアップで写っている
魅力の雑誌で、その名の通りの愛蔵版。

そこで語られる「図書館」が印象深い。
愛蔵版で6冊。その最初の冊子に、
「文化勲章受章発表の夜」が載っており、
「京都支局、私の小説、思い出の図書館」
という司馬さんへのインタビューがありました。

そこから、すこし

「御蔵跡(おくらあと)図書館と言って、
当時日本橋三丁目にデパートがあり、
その裏にオランダの農家のような建物
だったのが図書館でした。
結局、兵隊から帰ってきて、
大阪が焼け跡になっていてね、
すぐ図書館に行ったんです。
図書館は南区の小学校に仮住まいをしていました。
そこに行ったら、いつも図書館の受付にいる漱石の
『坊っちゃん』のうらなり先生みたいな先生が、
『あっ、おまえ帰ってきたのか』と、
あまり感動せずにつぶやいた。
それを聞いたときに、ああ帰ってきたなと、
やっと思ったな。

――学校が嫌いでも図書館に行っていたんですね。

「一人で何でも選べるしね。
さっきの先生は西藤さんという人で、
強度の近視で、不況時代に東大か京大を出て、
勤め先がないのでそこにいたのかな。
借りる前にその人に聞くと、この本はだいたい何が
書いてあると言ってくれたから、
じゃあ借りよう、じゃあやめようと。
いろいろ教えてくれました。」(p301)

未公開講演録愛蔵版Ⅲ「司馬遼太郎が語る日本」
には、「図書館で教わった本の読み方」(p300~305)。
これも印象深いのでした。

「中学は上本町八丁目にある上宮中学に入りました。
中学でも教室は嫌いなままでした。
講義は聴かなかったし、試験勉強もしなかった。
そうかといってサボりもせず、学校には行く。
中学も、その後に通った大阪外語学校も
上本町八丁目でした。最終学校まで
同じ道を歩いて通ったわけで、二㌔ほどありました。
帰り道、まん中あたりで休みたくなるでしょう。
それが図書館なんです。
結局、図書館に六時ごろ着いて、
空腹だったけれど九時ごろまでいました。
おなかがすくから九時には帰りました。
何を読んでいたが、はっきり記憶していませんが、
図書館にある本の全部といってもいいくらい、
読んでいたのではないでしょうか。
新刊本が多かったですね。何よりうれしかったのは、
現代ふうの開架式だったことです。
子どもにとって開架式は非常にありがたくて、
好きなぐあいに読んでいました。
借り出しは三冊以内でしたから必ず三冊借りました。
一週間以内に返せばよかったのです。
繰り返しますが、志を立てて図書館へ行っているのではなく、
学校がイヤだったから行っていたのです。(笑い)」

ここからオランダの農家のような図書館の建物を
語っており魅力ですが、ここでは省略(笑)。

「閲覧室の雰囲気は非常によかったと思います。
青春の思い出といえば、
ふつう友人との間の思い出でしょう。
そういう意味では図書館が思い出ですから、
いま思い出してもそんなに
ワクワクするようなものではありません。
ただ、自分の十代の間に
何ごとかがプラスになってくれた。
それは、いくら考えても図書館しかないですね。
学校は私にとって影響を与えてくれなかった感じです。」

「私はいつも三冊借り、
そのうち二冊は自分に合わなかったり、
おもしろくなかったりします。
ですから三冊というのは
歩留まりとしてはよかったですね。」

それから、
未公開講演録愛蔵版Ⅵ完結篇に
「古書の世界」として谷沢永一氏と語り合った講演で
古本屋のことが登場しております。


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