あっ。
ひょっとしたら薄田泣菫を
読めるかもしれないと、
昨日思いました(笑)。
厚さ4・5センチで
国語辞典なみなのが、
書評コラムの谷沢永一著
「紙つぶて自作自注最終版」。
数年かぶり、そこに挟んでおいた、
新聞の切り抜き2枚をひらく。
一枚は
2006年1月8日毎日新聞の
毎日書評賞発表の記事。そこの
「受賞者に聞く」では、こんな箇所
「実は僕が手本にしているのは、
『大阪毎日新聞』に連載された泣菫の
『茶話』というコラムなんです。
子どものころ読んで夢中になった
天下の絶品で、これの現代版を作りたい
という思いで始めたのが『紙つぶて』です。」
二枚目は、2006年1月31日
読売新聞夕刊の浪川知子の記事。
そこにも、
「谷沢さんは『詩人の薄田泣菫が新聞に
書いた学芸コラム「茶話」が念頭にあった』
と明かす。古今東西の人物の知られざる逸話
をユーモアにつづった『茶話』は、大正時代
の人気随筆。・・・」
さてっと、私の知識はここまでで、
ちっとも、薄田泣菫への興味はわかず、
冨山房百科文庫も、歯が立たないで
おりました。
もどって、今回ひらいた
「紙つぶて自作自注最終版」。
その最後の書名索引に、
一箇所だけ載る「現代文章宝鑑」。
その頁をひらくとこうでした。
「『現代文章宝鑑』(柏書房)へ安藤鶴夫を
入れる際に私は躊躇せず『落語鑑賞』(旺文社
文庫)「寝床」の前文を採った。・・・」
という箇所。
それではと、これも古本で購入してあった
「現代文章宝鑑」を取り出してくる。
そこにある「寝床」前文を読んだのですが、
いまだピントこない(笑)。
この「宝鑑」は、共編となっており、
小田切秀雄・多田道太郎・谷沢永一の3人の
名前が載っておりました。
1979年9月と日付がある「はじめに」。
その「はじめに」の最後の4行を引用。
「いま、一般に文章離れ、読書離れなどという
ことがいわれ、たしかにそういう面も生じているが、
文章にはこんなにおもしろいものがある、こんなに
も手ごたえの確かなものがある、ということを本書に
よって知ってもらうことができれば、――
あるいは知ってもらうきっかけにでもなれば、
わたしたちは本望である。」
「宝鑑」の目次をパラパラとめくっていると、
芸談に、安藤鶴夫の文が一篇。そして
逸話に、薄田泣菫の文が一篇。
お二人とも、その一篇しか「宝鑑」に
登場しておりませんでした。
それではと、夜寝る前に、載っている
薄田泣菫の「大食と小食」の一篇をひらく。
あっ。これならわかる。
ちなみに、冨山房百科文庫の「完本 茶話 下」
をひらき、その同じ文をさがして読んでも
これが、同じ文なのに、つまらない(笑)。
「現代文章宝鑑」の一篇のおかげで、
薄田泣菫へのとっかかりがつかめました。
ありがたい。薄田泣菫へ参入できます。
そうでした。ちなみに、ここは
指摘しておかなきゃいけません。
「紙つぶて自作自注最終版」の
人名索引に、薄田泣菫の名はありません。
ひょっとしたら薄田泣菫を
読めるかもしれないと、
昨日思いました(笑)。
厚さ4・5センチで
国語辞典なみなのが、
書評コラムの谷沢永一著
「紙つぶて自作自注最終版」。
数年かぶり、そこに挟んでおいた、
新聞の切り抜き2枚をひらく。
一枚は
2006年1月8日毎日新聞の
毎日書評賞発表の記事。そこの
「受賞者に聞く」では、こんな箇所
「実は僕が手本にしているのは、
『大阪毎日新聞』に連載された泣菫の
『茶話』というコラムなんです。
子どものころ読んで夢中になった
天下の絶品で、これの現代版を作りたい
という思いで始めたのが『紙つぶて』です。」
二枚目は、2006年1月31日
読売新聞夕刊の浪川知子の記事。
そこにも、
「谷沢さんは『詩人の薄田泣菫が新聞に
書いた学芸コラム「茶話」が念頭にあった』
と明かす。古今東西の人物の知られざる逸話
をユーモアにつづった『茶話』は、大正時代
の人気随筆。・・・」
さてっと、私の知識はここまでで、
ちっとも、薄田泣菫への興味はわかず、
冨山房百科文庫も、歯が立たないで
おりました。
もどって、今回ひらいた
「紙つぶて自作自注最終版」。
その最後の書名索引に、
一箇所だけ載る「現代文章宝鑑」。
その頁をひらくとこうでした。
「『現代文章宝鑑』(柏書房)へ安藤鶴夫を
入れる際に私は躊躇せず『落語鑑賞』(旺文社
文庫)「寝床」の前文を採った。・・・」
という箇所。
それではと、これも古本で購入してあった
「現代文章宝鑑」を取り出してくる。
そこにある「寝床」前文を読んだのですが、
いまだピントこない(笑)。
この「宝鑑」は、共編となっており、
小田切秀雄・多田道太郎・谷沢永一の3人の
名前が載っておりました。
1979年9月と日付がある「はじめに」。
その「はじめに」の最後の4行を引用。
「いま、一般に文章離れ、読書離れなどという
ことがいわれ、たしかにそういう面も生じているが、
文章にはこんなにおもしろいものがある、こんなに
も手ごたえの確かなものがある、ということを本書に
よって知ってもらうことができれば、――
あるいは知ってもらうきっかけにでもなれば、
わたしたちは本望である。」
「宝鑑」の目次をパラパラとめくっていると、
芸談に、安藤鶴夫の文が一篇。そして
逸話に、薄田泣菫の文が一篇。
お二人とも、その一篇しか「宝鑑」に
登場しておりませんでした。
それではと、夜寝る前に、載っている
薄田泣菫の「大食と小食」の一篇をひらく。
あっ。これならわかる。
ちなみに、冨山房百科文庫の「完本 茶話 下」
をひらき、その同じ文をさがして読んでも
これが、同じ文なのに、つまらない(笑)。
「現代文章宝鑑」の一篇のおかげで、
薄田泣菫へのとっかかりがつかめました。
ありがたい。薄田泣菫へ参入できます。
そうでした。ちなみに、ここは
指摘しておかなきゃいけません。
「紙つぶて自作自注最終版」の
人名索引に、薄田泣菫の名はありません。