岩波文庫の尾崎紅葉作「多情多恨」。
この解説は丸谷才一でした。
14頁にわたります。
ということで、その解説を
適宜引用(笑)。
「『多情多恨』は日本小説史を代表する
長篇小説数篇のうちの一つだとわたしは
思つている。」(p420)
「『多情多恨』が『源氏物語』に由来する
ことは、断定して差支へないと思はれる。
ここで一つ言ひ添へて置かなければならない
ことがある。といふのは、当時『源氏物語』を
読むのはごく特殊な人のすることだつたので、
たとへば夏目漱石も森鴎外も読んでゐなかつた
らしいといふ事情である。正宗白鳥などは昭和
にはいつてからウェイリーの英訳で読んだ
くらゐで、これは二重の意味で
(つまり『源氏物語』などを読むのかといふのと、
日本語ではなく英語で読むのかといふのと)
人々を驚かせた。」
「光源氏はあんなによく泣くからこそあの物語の
中心人物となり得たのだといふことを学んだに
相違ない。泣いてばかりゐる男を明治日本の
長篇小説の主人公にして、喪失と別れといふ
人生最大のそして最も普遍的な悲しみを描かうと
する破天荒な発想は、光源氏とつきあふことに
よつて生じた。それは天外より来る奇想のごとく
にして、しかもじつに安定してゐた。
自国の古典から摂取したものゆゑ、深く伝統に
根ざしてゐたからである。」
「ごく部分的にしかユーモアを用ゐないのが
『源氏物語』の一貫した方法であつた。ところが
『多情多恨』においては、喜劇的な手法が持続的
に用ゐられ、それが作品の地肌の重要な成分となり、
さらにはそれによつて現実感が強められてゐるので
ある。抒情も、感傷も、すぐそばに滑稽が存在する
ことによつて、かへつて、具体的な人生の部分と
なつてゐる。この技法がなければ世界が成立しにくい
ほどだつたと言つてもよからう。」
「ユーモアの質の高さに貢献してゐるものが
二つある。第一は文体で、
口語文がまだはじまつたばかりなのに、流暢で
完成された文章を紅葉は書くことができた。
もしもこれが文語文で行つたのなら、
これだけの効果はあがらなかつたはずで、
必要に応じて文体を工夫してゆく才能は
驚嘆すべきものがあつた。
第二は主人公の友人である葉山が諧謔好きなことで、
このせいで総じて話が湿つぽくならない。
何しろ友達の気鬱を案じて自分の家に同居させよう
といふ男だから友情にあつく、ものの見方が優しい。
どうやら読者はこの優しさに感染してしまふらしく、
鷲見の非常識な行為に対しても、葉山の寛容さに
似たものをもつてつきあふことになるのである。・・・」
は~あ。私は、これで満腹(笑)。
私の不幸は、解説だけ読んで
小説を読まないこと。
この不幸をプラスに
ひっくり返せるような糸口を、
今日の雨の日に思ってみる(笑)。
この解説は丸谷才一でした。
14頁にわたります。
ということで、その解説を
適宜引用(笑)。
「『多情多恨』は日本小説史を代表する
長篇小説数篇のうちの一つだとわたしは
思つている。」(p420)
「『多情多恨』が『源氏物語』に由来する
ことは、断定して差支へないと思はれる。
ここで一つ言ひ添へて置かなければならない
ことがある。といふのは、当時『源氏物語』を
読むのはごく特殊な人のすることだつたので、
たとへば夏目漱石も森鴎外も読んでゐなかつた
らしいといふ事情である。正宗白鳥などは昭和
にはいつてからウェイリーの英訳で読んだ
くらゐで、これは二重の意味で
(つまり『源氏物語』などを読むのかといふのと、
日本語ではなく英語で読むのかといふのと)
人々を驚かせた。」
「光源氏はあんなによく泣くからこそあの物語の
中心人物となり得たのだといふことを学んだに
相違ない。泣いてばかりゐる男を明治日本の
長篇小説の主人公にして、喪失と別れといふ
人生最大のそして最も普遍的な悲しみを描かうと
する破天荒な発想は、光源氏とつきあふことに
よつて生じた。それは天外より来る奇想のごとく
にして、しかもじつに安定してゐた。
自国の古典から摂取したものゆゑ、深く伝統に
根ざしてゐたからである。」
「ごく部分的にしかユーモアを用ゐないのが
『源氏物語』の一貫した方法であつた。ところが
『多情多恨』においては、喜劇的な手法が持続的
に用ゐられ、それが作品の地肌の重要な成分となり、
さらにはそれによつて現実感が強められてゐるので
ある。抒情も、感傷も、すぐそばに滑稽が存在する
ことによつて、かへつて、具体的な人生の部分と
なつてゐる。この技法がなければ世界が成立しにくい
ほどだつたと言つてもよからう。」
「ユーモアの質の高さに貢献してゐるものが
二つある。第一は文体で、
口語文がまだはじまつたばかりなのに、流暢で
完成された文章を紅葉は書くことができた。
もしもこれが文語文で行つたのなら、
これだけの効果はあがらなかつたはずで、
必要に応じて文体を工夫してゆく才能は
驚嘆すべきものがあつた。
第二は主人公の友人である葉山が諧謔好きなことで、
このせいで総じて話が湿つぽくならない。
何しろ友達の気鬱を案じて自分の家に同居させよう
といふ男だから友情にあつく、ものの見方が優しい。
どうやら読者はこの優しさに感染してしまふらしく、
鷲見の非常識な行為に対しても、葉山の寛容さに
似たものをもつてつきあふことになるのである。・・・」
は~あ。私は、これで満腹(笑)。
私の不幸は、解説だけ読んで
小説を読まないこと。
この不幸をプラスに
ひっくり返せるような糸口を、
今日の雨の日に思ってみる(笑)。