梅棹忠夫著「知的生産の技術」が気になって、
加藤秀俊氏の関連文を見てみる。
まず
「梅棹忠夫著作集第11巻」。
第11巻は「知の技術」。
その最後のコメント2に
加藤秀俊氏が書いておりました。
そこに、
『ベストセラー物語〈下〉』(朝日選書108)
に加藤秀俊氏自身で「知的生産の技術」を
取り上げて書いていると紹介されております。
講談社に
「わたしの知的生産の技術」
「続わたしの知的生産の技術」
(「知的生産の技術」研究会編)
この2冊に研究会に呼ばれて
加藤秀俊氏が話して、質問に答えております。
ここでは、そのお話よりも、
質問への答えが魅力的でした(笑)。
加藤秀俊著「わが師わが友」(中央公論社)
これは、加藤秀俊データベースにて、
簡単に見ることが出来ます。
どれも興味深いのですが、
ここでは『ベストセラー物語〈下〉』
から引用。
「べつのいいかたをしよう。
もしも、日本の教育のなかで、
知識はどんなふうにしてあつめたらいいのか、
ノートはどう使うべきか、
じぶんで発見した事実はどうまとめたらよいのか、
といったような、学問をするにあたっての
基本技術がじゅうぶんにゆきとどいていたならば、
『学園紛争』はあんなふうにひろがることも
なかっただろうし、また、
『知的生産の技術』がベストセラーになる、
といった事態もありえなかっただろう。」
「挌闘実技の指南書なのである。
読み、かつ、その指示にしたがって行動する、
という、まことにふしぎな読書法を、
この本をつうじて読者は学んだ、
といってもよい。
行動することによって読書のたのしみを知る
――それは、活力にあふれた学生や若い
サラリーマンにとって、おそらく新鮮な経験
であったにちがいない。・・・・文字どおり
『行動』への糸口をこの本が用意していた、
という事実を見おとすことはできないのである。」
「だが、それにしても、ほんらい、
この本を読んでみずからを啓発すべき人たち、
そしてその自己啓発をつうじて、つぎの世代の
若ものたちに、『知的生産』の『技術』を
つたえるべき立場にいる人たち――たとえば、
大学の先生たち――が、結局のところ、
この本を読んでいないらしい、という事実も
このさい忘れてはならないだろう。・・・」
うん。また『知的生産の技術』を
読み直したくなりました(笑)。
加藤秀俊氏の関連文を見てみる。
まず
「梅棹忠夫著作集第11巻」。
第11巻は「知の技術」。
その最後のコメント2に
加藤秀俊氏が書いておりました。
そこに、
『ベストセラー物語〈下〉』(朝日選書108)
に加藤秀俊氏自身で「知的生産の技術」を
取り上げて書いていると紹介されております。
講談社に
「わたしの知的生産の技術」
「続わたしの知的生産の技術」
(「知的生産の技術」研究会編)
この2冊に研究会に呼ばれて
加藤秀俊氏が話して、質問に答えております。
ここでは、そのお話よりも、
質問への答えが魅力的でした(笑)。
加藤秀俊著「わが師わが友」(中央公論社)
これは、加藤秀俊データベースにて、
簡単に見ることが出来ます。
どれも興味深いのですが、
ここでは『ベストセラー物語〈下〉』
から引用。
「べつのいいかたをしよう。
もしも、日本の教育のなかで、
知識はどんなふうにしてあつめたらいいのか、
ノートはどう使うべきか、
じぶんで発見した事実はどうまとめたらよいのか、
といったような、学問をするにあたっての
基本技術がじゅうぶんにゆきとどいていたならば、
『学園紛争』はあんなふうにひろがることも
なかっただろうし、また、
『知的生産の技術』がベストセラーになる、
といった事態もありえなかっただろう。」
「挌闘実技の指南書なのである。
読み、かつ、その指示にしたがって行動する、
という、まことにふしぎな読書法を、
この本をつうじて読者は学んだ、
といってもよい。
行動することによって読書のたのしみを知る
――それは、活力にあふれた学生や若い
サラリーマンにとって、おそらく新鮮な経験
であったにちがいない。・・・・文字どおり
『行動』への糸口をこの本が用意していた、
という事実を見おとすことはできないのである。」
「だが、それにしても、ほんらい、
この本を読んでみずからを啓発すべき人たち、
そしてその自己啓発をつうじて、つぎの世代の
若ものたちに、『知的生産』の『技術』を
つたえるべき立場にいる人たち――たとえば、
大学の先生たち――が、結局のところ、
この本を読んでいないらしい、という事実も
このさい忘れてはならないだろう。・・・」
うん。また『知的生産の技術』を
読み直したくなりました(笑)。