和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

被災後一ヶ月読書。

2015-06-28 | 地震
小泉信三全集の16巻には
「国を思う心」のほかに、
「思うこと憶い出すこと」も載っていて
関東大震災の被災の様子は、
「思うこと憶い出すこと」より引用。
今回が被災の引用の最後です。

「幾日かして馴染の大工が来て、
庭に杭を打ち込み、電信柱ほどの
大丸太をそれにあてがって、
傾いた軒の支柱にしてくれたので、
一面の壁土を掃き出し、
畳や柱に雑巾がけをして、
一同屋根の下へ帰って行った。
その屋根の下で、私たちは更に一月あまり
・・・・
この一月の間に、私は一冊大部の本を読んだ。
それはピグウの『厚生経済学』という
九百数十頁の英書であるが、平生は大きくて
なかなか手がつけられなかった。
震災で交通が絶え、一時的の島流しに遭ったような
こんな時に限ると思い、私はそれに取り着いた。
読み了って、東京へ出てから、それに基づいて
『社会政策の経済原理』という論文を書いたが、
震災後の鎌倉の幾日は、人は来ず、
郵便は来ず、静かな日々であった。
人が来ないとともに、二週間ばかりは、
夜、電燈が来なかった。
私はこの本の多くの部分を蝋燭の火で読んだ。
快い記憶なので、私は今までに
一二度その事を書いたことがある。」(p239)
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言葉遣いの理由。

2015-06-28 | 書評欄拝見
本を、
買うかどうか。
読むかどうか。
気になる新刊
書評が載れば、
まず、読む(笑)。

読売新聞今日(日曜日)
の読書欄をひらくと、
柳田国男著「国語と教育」を
前田英樹氏が書評しておりました。
そのはじまりは

「柳田国男が創り出した民俗学は、
際立って独特な彼の文体、用語法、
語り口と決して切り離すことができない。
したがって、彼の学問を理解することは、
そうした言葉遣いの理由を知ることと
まったく同じになる。この本を読めば、
近代日本語で書くこと、語ることに
賭けた柳田の生涯の覚悟が、どれほど
深いものであったかがわかるだろう。
本書は、13編の講演録、談話、論考で
成っていて、発表時期は・・・
太平洋戦争のさなかから戦後の安定期
に入る頃までにわたっている。
すべて全集未収録の文章で、
このような形の再刊はありがたい。」


雑誌WILL8月号の
「石井英夫の今月この一冊」では
「渡部昇一 青春の読書」でした。
はじまりは

「厚さ五センチ、六百十数ページの
浩瀚な大著である。・・
驚くべき記憶力と記録力に圧倒されて、
評者などは最後まで巻を措くことが
できなかった。・・
小学校時代、少年講談『三好清海入道』を
読んでいて担任教師に殴られ、『退学しろ』
と叱られた。同じく、『宮本武蔵』『一休和尚』
という二冊の〈活字の舟〉で大海原に乗り出した
という。
当時、阿部次郎の『三太郎の日記』が必読書と
言われたが、のちの人生に役立ったのは
ユーモア作家・佐々木邦の『珍太郎日記』のほう
だったというのが面白い。
福原麟太郎と市河三喜に私淑し、書物偏愛では
ライバルであった谷沢永一との深い交流も
興味深く綴られている。・・・」

ちなみに、次のページ
「堤堯の今月この一冊」では、
『帳簿の世界史』が取り上げられております。

産経新聞読書欄では
花房壮(社会部)氏が書評している
伊藤隆著「歴史と私」(中公新書)
その書評の最後は

「80歳を超えたいまなお歴史家として
使命感に燃え奔走しているが、
史料が減りつつある現状には苦言も呈する。
『戦後日本は、あれだけ頑張って
高度成長を成し遂げ、今もその遺産で
世界三番目のGDPを誇っています。
それなのに、どうやってこの国を作ったか
という記録が、少ししか残っていない。
係わった人はすごく多いはずなのに、
非常に残念です』
戦後70年の今年、著者の発するメッセージは
ひときわ重い。」


毎日新聞の今週の本棚では
川本三郎氏の書評で宮田毬栄著
『忘れられた詩人の伝記 父・大木惇夫の軌跡』。
書評のはじまりは
「よくぞ書き上げた。」とあります。
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