小泉信三全集の16巻には
「国を思う心」のほかに、
「思うこと憶い出すこと」も載っていて
関東大震災の被災の様子は、
「思うこと憶い出すこと」より引用。
今回が被災の引用の最後です。
「幾日かして馴染の大工が来て、
庭に杭を打ち込み、電信柱ほどの
大丸太をそれにあてがって、
傾いた軒の支柱にしてくれたので、
一面の壁土を掃き出し、
畳や柱に雑巾がけをして、
一同屋根の下へ帰って行った。
その屋根の下で、私たちは更に一月あまり
・・・・
この一月の間に、私は一冊大部の本を読んだ。
それはピグウの『厚生経済学』という
九百数十頁の英書であるが、平生は大きくて
なかなか手がつけられなかった。
震災で交通が絶え、一時的の島流しに遭ったような
こんな時に限ると思い、私はそれに取り着いた。
読み了って、東京へ出てから、それに基づいて
『社会政策の経済原理』という論文を書いたが、
震災後の鎌倉の幾日は、人は来ず、
郵便は来ず、静かな日々であった。
人が来ないとともに、二週間ばかりは、
夜、電燈が来なかった。
私はこの本の多くの部分を蝋燭の火で読んだ。
快い記憶なので、私は今までに
一二度その事を書いたことがある。」(p239)
「国を思う心」のほかに、
「思うこと憶い出すこと」も載っていて
関東大震災の被災の様子は、
「思うこと憶い出すこと」より引用。
今回が被災の引用の最後です。
「幾日かして馴染の大工が来て、
庭に杭を打ち込み、電信柱ほどの
大丸太をそれにあてがって、
傾いた軒の支柱にしてくれたので、
一面の壁土を掃き出し、
畳や柱に雑巾がけをして、
一同屋根の下へ帰って行った。
その屋根の下で、私たちは更に一月あまり
・・・・
この一月の間に、私は一冊大部の本を読んだ。
それはピグウの『厚生経済学』という
九百数十頁の英書であるが、平生は大きくて
なかなか手がつけられなかった。
震災で交通が絶え、一時的の島流しに遭ったような
こんな時に限ると思い、私はそれに取り着いた。
読み了って、東京へ出てから、それに基づいて
『社会政策の経済原理』という論文を書いたが、
震災後の鎌倉の幾日は、人は来ず、
郵便は来ず、静かな日々であった。
人が来ないとともに、二週間ばかりは、
夜、電燈が来なかった。
私はこの本の多くの部分を蝋燭の火で読んだ。
快い記憶なので、私は今までに
一二度その事を書いたことがある。」(p239)