どこで、
見たのか。読んだのか。
開高健が文章が書けなくなって、
井伏鱒二氏へ、どうしたらよいかと、
尋ねる場面がありました。
井伏氏。その言葉を受け止めて、
いろはを、書いていればいいのです。
というような返事をされていた。
うる覚えで、
その場面をテレビで見たのか、
文章で読んだのか、思い出せない。
ですから、言葉も正確ではなく、
思い込みかもしれません(笑)。
話題をかえて、
イロハといえば、
清水幾太郎著「私の文章作法」(中公文庫)に
「文章のイロハを学びたいという方は、
いろいろなチャンスを利用して、精々、
手紙を書いた方がよいと思います。
電話で用が足りる場合でも、
手紙を書くべきでしょう。
面倒だ、というのですか。
いや、本当に面倒なもので、
私にしても、毎月の原稿が
一通り済んでから、まるまる一日を使って、
何通かの手紙を書くことにしています。
原稿料とは関係ありませんが、
実際、手紙を書くのは一仕事です。
しかし、それも面倒だ、というようでは、
文章の修業など出来たものではありません。」
(p68)
はあ。
「まるまる一日を使って」
手紙を書いたことなど、
ここ何年もない私です(笑)。
そういえば、カント。
「カントは四時間とれなければ
ものを書かなかった。」
という引用をしているのが
渡部昇一氏の2頁の文でした。題して
「受動的知的生活と能動的知的生活」。
そこから引用。
「ところが、いざ能動的知的生活に
入ろうとするならば、最低四時間以上
とれない場合は、何もはじめないほうがいい。
カントは四時間とれなければものを書かなかった。
私の場合なら、夜の十一時ごろから
翌朝の五時、六時までの五、六時間あれば、
ペラの原稿用紙四十枚ぐらいは書きあげるが、
もし日中の二時間くらいしか時間がないとすれば、
同じ枚数を書くのに一週間か十日かかっても
できないかもしれない。
溶鉱炉の火は消すなである。
いったん消してしまうと、再び必要な温度に
達するまでに時間がかかるのと同じように、
頭脳が熱くなって生の情報や知識が溶けて
くるまでには、必らず一定の時間がかかる
ものなのだ。四時間から五時間で材料が
溶けると、ようやくその人のものとなって
出てくるのである。・・・・
ようやく油がのりかかってきた二時間目に
時間がきて筆をおくと、翌日も同じことの
くり返し。能動的知的生活に入るには最低
四時間は外部からのインターラプションなし
に没頭できる状況をつくり出すことが大切である。」
(p104~105「わたしの知的生産の技術」講談社)
うん。
文章のイロハと、
最低四時間以上。
わかりました。
私の文が引用ばかりなのは、
溶鉱炉で溶け出す以前の段階なんだ。
見たのか。読んだのか。
開高健が文章が書けなくなって、
井伏鱒二氏へ、どうしたらよいかと、
尋ねる場面がありました。
井伏氏。その言葉を受け止めて、
いろはを、書いていればいいのです。
というような返事をされていた。
うる覚えで、
その場面をテレビで見たのか、
文章で読んだのか、思い出せない。
ですから、言葉も正確ではなく、
思い込みかもしれません(笑)。
話題をかえて、
イロハといえば、
清水幾太郎著「私の文章作法」(中公文庫)に
「文章のイロハを学びたいという方は、
いろいろなチャンスを利用して、精々、
手紙を書いた方がよいと思います。
電話で用が足りる場合でも、
手紙を書くべきでしょう。
面倒だ、というのですか。
いや、本当に面倒なもので、
私にしても、毎月の原稿が
一通り済んでから、まるまる一日を使って、
何通かの手紙を書くことにしています。
原稿料とは関係ありませんが、
実際、手紙を書くのは一仕事です。
しかし、それも面倒だ、というようでは、
文章の修業など出来たものではありません。」
(p68)
はあ。
「まるまる一日を使って」
手紙を書いたことなど、
ここ何年もない私です(笑)。
そういえば、カント。
「カントは四時間とれなければ
ものを書かなかった。」
という引用をしているのが
渡部昇一氏の2頁の文でした。題して
「受動的知的生活と能動的知的生活」。
そこから引用。
「ところが、いざ能動的知的生活に
入ろうとするならば、最低四時間以上
とれない場合は、何もはじめないほうがいい。
カントは四時間とれなければものを書かなかった。
私の場合なら、夜の十一時ごろから
翌朝の五時、六時までの五、六時間あれば、
ペラの原稿用紙四十枚ぐらいは書きあげるが、
もし日中の二時間くらいしか時間がないとすれば、
同じ枚数を書くのに一週間か十日かかっても
できないかもしれない。
溶鉱炉の火は消すなである。
いったん消してしまうと、再び必要な温度に
達するまでに時間がかかるのと同じように、
頭脳が熱くなって生の情報や知識が溶けて
くるまでには、必らず一定の時間がかかる
ものなのだ。四時間から五時間で材料が
溶けると、ようやくその人のものとなって
出てくるのである。・・・・
ようやく油がのりかかってきた二時間目に
時間がきて筆をおくと、翌日も同じことの
くり返し。能動的知的生活に入るには最低
四時間は外部からのインターラプションなし
に没頭できる状況をつくり出すことが大切である。」
(p104~105「わたしの知的生産の技術」講談社)
うん。
文章のイロハと、
最低四時間以上。
わかりました。
私の文が引用ばかりなのは、
溶鉱炉で溶け出す以前の段階なんだ。