和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

溶鉱炉の時間。

2015-06-20 | 短文紹介
平山周吉著「戦争画リターンズ」は
藤田嗣治の戦争画がテーマとなっております。

そこには、画を描く藤田嗣治への記述が
出てきます。

「斎戒沐浴した画伯は毎日十三時間ぶっ通しで
暑気こもるアトリエ内で精進の筆をすすめたと
いう苦心の力作・・・」(p35)

これは、昭和18年8月31日の朝日新聞からの記述。
図版は「アッツ島玉砕」が掲載されています。


「藤田はいつも漫然とはしていない。
ハッチの中で一人縫い針に糸を通して袋物
みたいなものを縫っているか、同船した
兵隊達の顔を描いてやったり、
日の丸の旗に何かを描いてやっていた。

器用な手を動かさずにはいられない、
といった藤田の姿を鶴田(吾郎)は
筆に留めている。」(p215)

これは南方派遣画家としての様子。

藤田の文として紹介されている箇所には

「近頃はすっかり陸海空軍の戦闘画に没頭して
私は昼夜の境もなく戦闘画の新門に全力の真剣さと
無味を感じて一年生からの入門をしている。
『理屈ぬきで、やっぱり沢山描かなければ、』
『何んでも描きこなせる様にならねば、』
『何んでも知ってなければ、』ならぬと言う事に
結局は落着して、今迄と異った研究と修養に
寸暇も無い忙しさである。
一枚の戦闘画を描くとしても、大変な用意が必要だ。
現地も見たい、実戦談も聞きたい、調査しなければ
ならぬ、材料を蒐集せねばならぬ、
写生をしなければならぬ、
権威ある識者の指導批判を受けねばならぬ、
ただ画家一人の力では何にも出来ぬ、
酷評を甘んじて訂正を何度も繰り返さねばならぬ、
・・・・・・・
一枚より更に一枚に自信と経験が織り込まれて
行くためには余計にかかねばならぬ、
何でも知って居て自由にかけなくてはならぬ、
写生の正確、描写表現の確実は勿論の事ながら、
・・・画中の人となって画いて居らねばならぬ。
・・今描毫中のノモンハン作戦にしても、
この広莫たる、東京から熊本迄も続くと言う
大草原の感じを第一に現わさねばならぬ、
青く澄んだ大空に満蒙独特の白雲まで
すべてが遠距離の感覚を出現せねばならぬ、
一ヶ月余りの野営に不自由を忍んだ将兵の
表情から色あせた軍服の気分は勿論の事
かき現さねばならぬ。
何日になったら始めよう、
出来るだろうと言う事よりも、
一日も早く作画にとりかかり
印象の消えぬ内にかかねばならぬと言う
私の初念通り私は何日も他の作家よりも
早くかき出して早く終了して居る。
何う考えてもこう言う画は常々の研究を
おこたらず、直ちにやるべきものだと
自信して居る。・・」(p190~191)



藤田氏のコレクター平野政吉の文には

「先生は毎日十二時間は、必ず絵筆を執られた。
何かの邪魔が入って、日課が壊された日は、
睡眠時間を四時間程に節約されても、
とにかく十二時間勉強は実行されていた。
あの逞しい意志と努力があってこそ、
天才も始めて大きく幅広くなれるのであろう。」
(p235)


平山周吉著「戦争画リターンズ」の前半は
この絵画がテーマとして動いてゆきます。


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