和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

草森紳一享年七十。

2015-06-12 | 短文紹介
平山周吉著「戦争画リターンズ」(芸術新聞社)
をめくっていると、
草森紳一氏が登場しております。

気になる箇所を引用。

「(2008年)の三月に、草森紳一は永代橋際の
マンションの一室で、三万冊の蔵書の中に埋もれて
死んでいた。
草森さんと連絡がつかなくなって一週間がたつと
いう報が入り、数人の知り合いと一緒に、永代橋
近辺の聞き込みと草森さんの部屋の捜索を敢行
することになった。その時の捜索隊長が、・・
芸術新聞社の相澤さんであった。
本がうずたかく積まれた部屋の中を、相澤隊長は
用意周到にも懐中電灯まで用意して、山男の
フットワークで陣頭指揮をとった。
入ることを禁じられていた部屋の中は、草森さんが
『随筆 本が崩れる』(文春新書)で書いている
とおりの惨状であった。・・・・
翌日、私(平山周吉氏)は捜索に加われなかった
のだが、相澤隊長が膨大な本で出来上った高い
『城壁』の向うに、草森紳一を発見した。
享年七十であった。・・・
締め切りをとっくに過ぎた連載原稿を書いている
途中での、あっけない死であった。・・・」
(p114~115)

あとがきには
こんな箇所も。

「相澤さんとは、これも本文に何回か登場して
もらった草森紳一さんを介して会った。
三人で会うことも多く、草森さんを抜きにして
二人で会うこともあった。毎年、暮れの三十日頃には、
門前仲町で忘年会となった。サッカー好きの相澤さん
の提案で、Jリーグのジュビロ磐田の試合を見に、
三人で出かけたこともある。十五年くらい前のことだ。
草森さんがバスの中で、その時書く原稿のために
持ち歩いていた会澤正志斎の『新論』を置き忘れ、
大慌てになったこともなつかしい。・・・」
(p418)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする