新潮45・7月号の平山周吉。
その「小泉信三の『帝王学』と戦後70年」で
小泉信三の本を読みたくなる。
我が家の未読文庫を覗くと、
ありました(笑)。
講談社学術文庫の
小泉信三著「平生の心がけ」
文庫解説は阿川弘之。
うん。解説の最初と最後とを
引用することに。
最初は、こうはじまります。
「今から三十年以上前、小泉信三先生の
『文芸春秋』に発表される随想を、私は
その都度楽しんで読んだ。立派な文章であり、
胸のすくような小気味よい文章であった。
戦後ジャーナリズムの滔々たる左寄りの風潮に
共鳴出来ず、そのため文壇内外の仲間うちで
私はある種の疎外感を味わわされていたから、
余計そう感じたのかも知れない。
面識も無く、講義講話を直接聞いたことも無いけれど、
遠く三田の山にツヨーイ味方がいてくれる感じで
頼もしかった。
それからしかし、長い年月が経った。日本は
左翼の経済学者や社会学者の予測をことごとく
裏切って、当時想像も出来なかったような
豊かな国になり、人々の暮しに大変化が起り、
私自身は老いて、いつか、昭和二十年代の
小泉先生よりも年上になった。・・・」
解説は10頁ありました。その最後
「ある種の考え方が時流を支配している時、
これと相反する少数意見を公表するには、
世論の袋叩きに会うくらいの覚悟と勇気が
要るのだが、その前提として、まず、
自分の悟性の指し示すところにしたがい、
自分の考えを堅持する勇気が要る。
多くの知識人が、戦時中と裏返しのかたちで、
戦後の時流に押し流され、思考の腰がぐらついた中、
小泉信三先生はそうならなかった数少ない明察果断
の人であった。『解説』の結論を言うとすれば、
これこそ『平生の心がけ』の最大のものだろう
というのが私の意見である。」
とりあえず、ビール。
じゃなかった。とりあえず、
小泉信三の古本を二冊注文(笑)。
その「小泉信三の『帝王学』と戦後70年」で
小泉信三の本を読みたくなる。
我が家の未読文庫を覗くと、
ありました(笑)。
講談社学術文庫の
小泉信三著「平生の心がけ」
文庫解説は阿川弘之。
うん。解説の最初と最後とを
引用することに。
最初は、こうはじまります。
「今から三十年以上前、小泉信三先生の
『文芸春秋』に発表される随想を、私は
その都度楽しんで読んだ。立派な文章であり、
胸のすくような小気味よい文章であった。
戦後ジャーナリズムの滔々たる左寄りの風潮に
共鳴出来ず、そのため文壇内外の仲間うちで
私はある種の疎外感を味わわされていたから、
余計そう感じたのかも知れない。
面識も無く、講義講話を直接聞いたことも無いけれど、
遠く三田の山にツヨーイ味方がいてくれる感じで
頼もしかった。
それからしかし、長い年月が経った。日本は
左翼の経済学者や社会学者の予測をことごとく
裏切って、当時想像も出来なかったような
豊かな国になり、人々の暮しに大変化が起り、
私自身は老いて、いつか、昭和二十年代の
小泉先生よりも年上になった。・・・」
解説は10頁ありました。その最後
「ある種の考え方が時流を支配している時、
これと相反する少数意見を公表するには、
世論の袋叩きに会うくらいの覚悟と勇気が
要るのだが、その前提として、まず、
自分の悟性の指し示すところにしたがい、
自分の考えを堅持する勇気が要る。
多くの知識人が、戦時中と裏返しのかたちで、
戦後の時流に押し流され、思考の腰がぐらついた中、
小泉信三先生はそうならなかった数少ない明察果断
の人であった。『解説』の結論を言うとすれば、
これこそ『平生の心がけ』の最大のものだろう
というのが私の意見である。」
とりあえず、ビール。
じゃなかった。とりあえず、
小泉信三の古本を二冊注文(笑)。