和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

どの本が決定的にインチキであるか。

2015-06-13 | 短文紹介
平山周吉氏は元編集者。検索すると、
文芸春秋で「諸君!」「文学界」編集長
という経歴。

編集といえば、鷲尾賢也氏の
「編集とはどのような仕事なのか」
という本を思い浮かべます。

ちなみに、お二人とも慶應義塾卒業。
平山周吉(1952年生まれ)は、文学部国文科卒。
鷲尾賢也(1944年生まれ)は、経済学部卒。

鷲尾氏は
講談社入社、「週刊現代」編集部から
「講談社現代新書」編集長
PR誌「本」編集長など歴任・・・

さてっと、
「編集とはどのような仕事なのか」の
「著者に育てられる」という章から引用。


「新書の世界で講談社が、岩波、中公の後塵を
拝してしたことはすでに述べた。東京より京都の
方が差別される度合いが少なかったのだろう、
当時の編集長は企画のターゲットを京都の著者に
絞っていた。桑原武夫、今西錦司、梅棹忠夫、
林屋辰三郎、奈良本辰也、貝塚茂樹といった大物に
接触を試みていた。そこから、その弟子筋が紹介
されるのが京都システムであった。・・・・
『季刊人類学』という雑誌を社会思想社からひきついで、
編集実務を講談社が引き受けていた。当然赤字であるが、
今西錦司、梅棹忠夫以下のいわゆる文化人類学関係の
著者獲得の一方法としてはじめたと聞いている。
その結果、岩田慶治、佐々木高明、米山俊直、谷泰、
松原正毅といった方々と長い間、おつきあいが生まれた。」

「現代新書を中心にした編集部の黒字があったため、
『季刊人類学』は刊行がつづけられ、会社全体の業績が
好調であったので、それが許されたといえる。
また講談社が総合出版社に上昇するときだからこそ、
上司は引き受けたのであろう。『季刊人類学』は
まことによき時代の産物であった。いまではもう
このような刊行はほとんど不可能だ。」


私は『季刊人類学』を見てない(笑)。
さてっと、講談社から出ていた
「知的生産の技術」研究会編の
「わたしの知的生産の技術」
「続わたしの知的生産の技術」
「新わたしの知的生産の技術」
という古本が手元にあります。

ここでは、「続・・」に掲載された
加藤秀俊氏への質問が印象に残るので
引用します。
私は、この質問者は編集者じゃないか
などと思いながら読みました。

質問者Å】 本というのはあまりあてにならない
面もあるのだというお話でしたが、そういう本を
チェックしながら使う方法を教えて下さい。

加藤秀俊】 ・・・・・・たとえばアフリカ関係の
ことについて調べようとした時に、本は非常にたくさん
出ています。しかし私は本を読む前に、幸いにして
アフリカの現地に行ったことのある、あるいは
一、二年住んで調査したことのある伊谷純一郎さんとか
米山俊直さんとかの友人を何人か持っています。
その人たちのところに行って、どの本を読んだらよいか、
どの本が決定的にインチキであるか、専門家というのは
決定的にインチキな本まで教えてくれるものです。
そういうことをきいてから本を選びます。・・・・
いま日本で足りないのは、情報の鑑定士といいますか、
あのお茶碗や刀剣などの目利きをする鑑定家という人たち
がいますが、情報でもおそらく大事なのは鑑定家であって、
こういう人がおびただしい情報の中から本物を選りわけ、
上手につくってある偽物を偽物と見抜いてくれるわけです。
ですから何を頼りにするかという時にはしかるべき
鑑定家を探す、ということになるのではないかと思います。
(p74~75) 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする