百人一首は
読んだことがないので、
今回少しめくってみる。
そこに『屏風歌』というのがある。
「屏風歌とは、大和絵の屏風に和歌をつけたもの。
九世紀の末ごろからはじまり、十世紀には
盛んに詠まれるようになった。」
ということで、
百人一首の在原業平朝臣の
「 ちはやふる 神代も聞かず 竜田川
からくれなゐに 水くくるとは 」
これについての解説のはじまりは
「『古今集』の詞書には
『二条の后の春宮の御息所と申しける時に、
御屏風に竜田川に紅葉流れたる絵を描けりける
を題にて詠める』とある。屏風歌である。・・・」
(「原色小倉百人一首」(文英堂)p28)
ちなみに、
白洲正子著「私の百人一首」(新潮選書)では
この歌の解説では
その古今集に
「・・・素性法師の歌と並んでいる。」
として、素性(そせい)の歌も引用しています。
「 もみぢ葉の流れてとまる湊には
くれなゐ深き波や立つらむ そせい
その次に業平の歌が出ているが、
同じ屏風に二つの歌をそえたのであろうか。
調度の類ができ上った時に、その作品を賞玩し、
ことほぐことは、王朝人の間でしばしば
行われたしきたりで、中でも屏風歌を
奉ることは、重要な儀式の一つであった。
そのためか、業平の作としては、
いかにも題詠歌らしく、取り澄ました気分である。」
(p51~52)
読んだことがないので、
今回少しめくってみる。
そこに『屏風歌』というのがある。
「屏風歌とは、大和絵の屏風に和歌をつけたもの。
九世紀の末ごろからはじまり、十世紀には
盛んに詠まれるようになった。」
ということで、
百人一首の在原業平朝臣の
「 ちはやふる 神代も聞かず 竜田川
からくれなゐに 水くくるとは 」
これについての解説のはじまりは
「『古今集』の詞書には
『二条の后の春宮の御息所と申しける時に、
御屏風に竜田川に紅葉流れたる絵を描けりける
を題にて詠める』とある。屏風歌である。・・・」
(「原色小倉百人一首」(文英堂)p28)
ちなみに、
白洲正子著「私の百人一首」(新潮選書)では
この歌の解説では
その古今集に
「・・・素性法師の歌と並んでいる。」
として、素性(そせい)の歌も引用しています。
「 もみぢ葉の流れてとまる湊には
くれなゐ深き波や立つらむ そせい
その次に業平の歌が出ているが、
同じ屏風に二つの歌をそえたのであろうか。
調度の類ができ上った時に、その作品を賞玩し、
ことほぐことは、王朝人の間でしばしば
行われたしきたりで、中でも屏風歌を
奉ることは、重要な儀式の一つであった。
そのためか、業平の作としては、
いかにも題詠歌らしく、取り澄ました気分である。」
(p51~52)