和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

なぜ 花はいつも。

2021-04-24 | 詩歌
いただいたコメントに「?」マークがふたつ。

しばらくしてから、思い浮かんできたのは、
岸田衿子の詩でした「なぜ 花はいつも」。

  なぜ 花はいつも
  こたえの形をしているのだろう
  なぜ 問いばかり
  天から ふり注ぐのだろう


古今和歌集の一首を探す。身近の本や、
学習参考書でさがしても見あたらない。
そうだそうだ困った時の窪田空穂全集。
「窪田空穂全集第21巻古今和歌集評釈②」
その最後に総索引があり簡単に見つかる。

「     題しらず      よみ人しらず

 宮城野(みやぎの)の本(もと)あらの小萩(こはぎ)
      露を重(おも)み風を待つごと君をこそ待て 」

評釈から、すこし引用。

「宮城野の萩を目にしながら、
女が男を直待(ひたま)ちに待っている心である。・・・
それも思想的なものではなく、感覚的なものである。

本来、萩はたわみやすいもので、それが花が咲き露が置いて、
梢が重くなれば、一層その感が強くなる。
『本あら』の萩であれば、その感はさらに一層強くなって、
露が落されないと、今にも折れてしまいそうに感じられよう。
 ・・・・・
作者は、その萩に自身を連想し、露に自身の状態を連想して、
そして萩を擬人して・・・・萩に『小』の接頭語を添えたのも、
この心であろう。

萩を感覚によって見、自身を暗示するものとしているのは、
その萩を眼前のものとしなければできないことに思われる。
『宮城野の本あらの小萩』ということは、
想像でもいえないことではなかろうが、
全体がこなれて、微妙なものとなっている点から、
その場所にあっての作と見たい気のするものである。」
    (p171「窪田空穂全集第21巻」)

語釈からも少し引用。

〇宮城野 陸前国宮城郡。今の仙台市の東方にその名を存している。

〇本あらの小萩 『本あら』は、一つの詞。『本』は、幹。
 『あら』は、疎(あら)で、幹の疎(まば)らに生えている。・・
 幹が疎らに立っている萩で、本来撓(たわ)みやすい萩が、
 支え合う幹が少ないために、はなはだしく撓むものとしていっている。


はい。以上、解説引用でした。




コメント
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