いただいたコメントに「?」マークがふたつ。
しばらくしてから、思い浮かんできたのは、
岸田衿子の詩でした「なぜ 花はいつも」。
なぜ 花はいつも
こたえの形をしているのだろう
なぜ 問いばかり
天から ふり注ぐのだろう
古今和歌集の一首を探す。身近の本や、
学習参考書でさがしても見あたらない。
そうだそうだ困った時の窪田空穂全集。
「窪田空穂全集第21巻古今和歌集評釈②」
その最後に総索引があり簡単に見つかる。
「 題しらず よみ人しらず
宮城野(みやぎの)の本(もと)あらの小萩(こはぎ)
露を重(おも)み風を待つごと君をこそ待て 」
評釈から、すこし引用。
「宮城野の萩を目にしながら、
女が男を直待(ひたま)ちに待っている心である。・・・
それも思想的なものではなく、感覚的なものである。
本来、萩はたわみやすいもので、それが花が咲き露が置いて、
梢が重くなれば、一層その感が強くなる。
『本あら』の萩であれば、その感はさらに一層強くなって、
露が落されないと、今にも折れてしまいそうに感じられよう。
・・・・・
作者は、その萩に自身を連想し、露に自身の状態を連想して、
そして萩を擬人して・・・・萩に『小』の接頭語を添えたのも、
この心であろう。
萩を感覚によって見、自身を暗示するものとしているのは、
その萩を眼前のものとしなければできないことに思われる。
『宮城野の本あらの小萩』ということは、
想像でもいえないことではなかろうが、
全体がこなれて、微妙なものとなっている点から、
その場所にあっての作と見たい気のするものである。」
(p171「窪田空穂全集第21巻」)
語釈からも少し引用。
〇宮城野 陸前国宮城郡。今の仙台市の東方にその名を存している。
〇本あらの小萩 『本あら』は、一つの詞。『本』は、幹。
『あら』は、疎(あら)で、幹の疎(まば)らに生えている。・・
幹が疎らに立っている萩で、本来撓(たわ)みやすい萩が、
支え合う幹が少ないために、はなはだしく撓むものとしていっている。
はい。以上、解説引用でした。