古本で『窪田空穂百首』(短歌新聞社・平成5年)が
400円なので買ってあります。
序は窪田章一郎氏で、そのはじまりはこうでした。
「窪田空穂の短歌百首を百人の執筆者が一首ずつ解説、
鑑賞する企画のもとに、これまでに無かった一冊の本が
刊行されることになった。・・・・
空穂は明治10年6月8日、長野県松本平の農家に生まれ、
松本中学を卒業して上京、東京専門学校(現在の早大)に
学んで卒業するまでの青春の十年間は、日清、日露の戦役に
はさまれる時期であった。・・・・
第一歌集『まひる野』を刊行したのは、38年、29歳の時であった。
そして昭和42年4月12日、91歳で病没するそれまでの60余年、
広い分野で文学活動をするが、つねにみずからを歌人といい、
23冊の歌集をとどめ・・・・・
・・空穂の歌集刊行の年齢を参考までに列挙すると、
『まひる野』 29歳
『明暗』 30歳
『空穂歌集』 36歳
『濁れる川』 39歳
『鳥聲集』 40歳
『土を眺めて』42歳
『朴の葉』 44歳
『青水沫』 45歳
『鏡葉』 50歳
『青朽葉』 53歳
『さざれ水』 58歳
『郷愁』 61歳
『冬日ざし』 65歳
『明闇』 69歳
『茜雲』 70歳
『冬木原』 75歳
『卓上の灯』 79歳
『丘陵地』 81歳
『老槻の下』 84歳
『木草と共に』88歳
『去年の雪』 91歳
『清明の節』 91歳
・・・・・ 」
さて、百人が選んだ百首の最後は
大岡信氏でした。せっかくですから、
その大岡氏のはじまりを引用しておわります。
「 四月七日午後の日広くまぶしかり
ゆれゆく如くゆれ来る如し
空穂没後に刊行された最終歌集『清明の節』に
『四月八日』と題して収められた二首のうちの一首。
絶詠である。他の一首は、
まつはただ意志あるのみの今日なれど
眼つぶればまぶたの重し
空穂が永眠したのは昭和42年4月12日の夜である。
満90歳に二か月足らない年齢だった。もっとも
空穂自身は日ごろ数え年を用いるのが常だったので、
それでいえば91歳の長寿だった。
この歌は逝去四日前の作だが、
歌われているのはその前日の心象である。病床に臥してすでに数か月。
命を支えるものは、生きんとする意志だけである。
しかし死は容赦なく迫っている。
病む人は外のまぶしい春の日射しに思わず眼をつぶる。
たちまち眠りが忍び寄ってくる。自分の意志がもはや
いかなる意志によっても呼び戻すことのできない境へと
漂い出ようとしているのを感じながら、
空穂はその状態そのものを歌にしようとした。
驚くべき作歌意志の持続である。・・・」
このあとに、最初に引用の短歌の説明があるのですが、
私は、ここまでとします。