桑原武夫の本は、本棚の分かりやすいところに並んでる。
そこから、「桑原武夫傳習錄」(潮出版社・昭和56年)。
ここには、知人たちによる文章が集められての一冊です。
序文が梅棹忠夫。跋文が司馬遼太郎。
目次は、寄せられた方々のお名前が並びます。
残念。その目次に、杉本秀太郎の名前はない。
それはそうと、杉本秀太郎著「洛中通信」(岩波書店)の
「第二芸術論のあたえたもの――桑原さんのこと」(P195~P200)
の最後で、
「今年(1988年)の3月9日、桑原さんは
国際日本文化研究センター主催による研究集会の開会あいさつで」
と、その内容にふれておりました。そして杉本氏の文のさいごは
『一月後の4月10日、桑原さんは亡くなった。』とある。
亡くなるまえの、最後の挨拶となったわけです。
その挨拶文面は、探すと簡単に見つかりました。
桑原武夫著「日本文化の活性化」(岩波書店・1988)
の本の最後にありました。河野健二氏の「あとがき」には
この挨拶について『この頃、先生はかなり疲れておられ、
原稿を読む声が聞きとれなかったほどだったが、
その内容は本書で見られるように、日本人の日本文化研究
にたいする鋭い批判を含む、すぐれた提言である・・・』
とあります。
さて、「研究集会の開会あいさつ」から
すこしだけ引用しておきます。
「・・・もちろん国際的共同研究をとりさえすれば、
優れた成果がえられるなどと安易に考えることはできません。
それぞれ違った思想、知識さらに感性をもった研究者が、
特定の問題の解決を求めて協力するのでありますが、
性急に統一見解を求める作業ではありません。
それぞれ自説を開陳しつつ、しかも相互影響による自己の変化を避けず、
いなむしろこれを期待しつつ、共同の見解に到達する幸福を願う作業で
あります。
従ってそこには当然、討論さらには論戦の段階があります。
ただ、日本の研究者は自説に強い主張ないし他の研究者の説に対する
鋭い批判を、儀礼的にあるいは無意識的に避けて、和を以て尊しとなす
という伝統的心性がなお強いのであります。
このことは恐らく日本文化の深いところにかかわる微妙な問題でありますが、
共同研究における効果とも関係するこの問題の重要性を、
日本人研究参加者のみでなく、また外国人参加者も意識して、
研究室の空気の流通を快適にする工夫が大切だと思います。・・」
(P258~259)
このあとにつづく、桑原武夫氏の挨拶の最後の箇所が、
杉本秀太郎氏の文「・・桑原さんのこと」の重要なテーマと
なっているのですが、私には荷が重いのでここまでにします。