「桑原武夫 その文学と未来構想」(淡交社・平成8年)
に、チョゴリザ遠征に参加された岩坪五郎さんの話がでてきます。
司会・多田道太郎氏が、こう紹介しておりました。
「・・・チョゴリザですね。・・・
私には本当によくわからなかったことなんですが、
そのときから岩坪という名前だけは聞き覚えがあったんです。
『岩坪がこうした』というお話をなさっていて、今回、こういう
思い出の中に山の人に入っていただきたいなと思ったときに、
その思い出がふっとよみがえりまして、岩坪さんをお呼びしました。
・・・」(p100)
ちなみに、チョゴリザへは1958(昭和33年)に行っております。
桑原武夫54歳でした。
では、岩坪氏のスピーチのこの箇所を引用。
「・・・桑原先生と私はチョゴリザの最長老と最若手ですから
三十ほど歳が離れております。・・・・
チョゴリザから帰ってまいりましたときに桑原先生が、
登頂いたしました平井のポコだとか私などを前に置かれまして、
『おれは何カ月間か平井のポコや五郎やいう連中とつき合うてきた。
君らから知的に得たものは全く何もなかった。
ただ精神年齢が大変若くなった。
その点について自分は感謝している』
とおっしゃいました(笑)。そのとき私は、
結局私らはアホで、桑原先生の頭に役立つようなことは
何もあらへん、まあ言うたらポチやミケみたいなもんやなあ
と思って、しゅんとしておりました。
しかし、これも61歳になってわかりました。
『私らは桑原先生に対してものすごく
いいことをしてあげたんやないか』と(笑)。
ええアイデアなんていうものは若々しい
精神状態から出てくるわけですから・・・・」(p103)
はい。これもまた、多田道太郎氏の名司会による
『下手なほうがいいんだ』という人選のお一人でした。
こうして、桑原武夫七回忌の一日が印象深く若い方々へと
バトンがわたされていったような読後感がありました。
はい。上手な梅梅対談もしかりですが、こういう細部が
よい読後感を味わえました。