杉本秀太郎著「洛中通信」(岩波書店・1993年)に
斎藤緑雨についての3頁弱の文があり印象に残ります。
「辛辣な警句の人緑雨」に触れてから
「緑雨には、もう一幕の出番がある。」
と指摘するのです。
はい。ここを丁寧に引用。
「緑雨には、もう一幕の出番がある。
うれしく弾む気持をおぼえている人
あるいはそういう気持の一刻に、
お手玉のような遊び道具を、
とびこみ台のスプリング・ボートを、
サーカスの空中ブランコの下に張られた
受けあみのような緩衝帯を、
時に応じて提供するという役柄である。
悲哀は感染するが、幸福もまた感染する。
緑雨がことばの寸劇、すなわち
ことばそのものを主人公とする寸劇、
あるいはことばの曲芸に興じているとき、
緑雨の紅潮は、たちまち人に移る。
我、人ともに、長く興じて飽きないものとして、
たとえ尻取りあそびであっても、
ことばの芸にまさるものはないからである。
緑雨のこの一面は『おぼえ帳』『ひかへ帳』『日用帳』
に躍如としている・・・・ 」(p44~45)
うん。この言葉が気になっておりました。
何となくわかるようで、わからない(笑)。
どうしても、気になる。
本を読んでいると、本題から、すぐに脇にそれて
枝葉の方へと、興味がうつっていきます。
65歳ぐらいまで、それをまずいことだと思っておりました。
最後まで読まずに、途中で他の本へとうつる。
その年齢を過ぎてから、それを楽しいことと思うように
気持を切りかえてゆく楽しみを覚えました。
そうすると、まずブログの楽しみがふえる(笑)。
『斎藤緑雨全集 巻四』(筑摩書房・平成2年)。
ここに『おぼえ帳』『ひかへ帳』『日用帳』が載っている。
うん。古本で注文してみることにしました。
ということで、明日は緑雨の文からの引用です。
ということで、『ことばの芸』は明日の楽しみ。