杉本秀太郎編「桑原武夫」(淡交社・平成8年)。
この本は、桑原武夫の七回忌の集まりの記録でした。
その「むすびに」で上山春平氏は、こう話しております。
「今までずうっと聞きほれていました。
今日のもよおしは多田(道太郎)さんのデザインですね。
じつによくできている。先生のお人柄の幅を最大限にとらえて、
しかも要所要所に私たちの心を打つ言葉が散りばめられている。
隣の川喜多二郎さんが
『今日の対談はすばらしい、すばらしい』
と何度もつぶやいていました。全く同感です。・・・」(p137)
「六年前に黒谷の金戒光明寺で告別式があったときも
今日のように桜が満開で、それがずっと京都の町を包んでおりました。
・・・・・・
どうも本日はありがとうございました。」(p138)
この集まりは、三部構成となっており、
さまざまな方が話されていたのでした。
まずはじまりの一部は、落語でいえば前座です。
山田稔・杉本秀太郎のお二人でした。ここには、
三部の梅梅対談(梅棹忠夫・梅原猛)から引用。
梅原】 じつは私は今日の講演会を計画した一人でございますが、
最初、誰に講演してもらうかと相談をしていましたところ、
多田さんが、『講演は下手な人のほうがよろしい。
上手な講演というものはどこかいやしいのだ。
多田道太郎や梅原猛は上手過ぎていやしい』と。
それで、下手なほうがいいんだというので
山田さんと杉本さんが選ばれた(笑)。・・・」(p112)
うん。ここでは、『上手過ぎていやしい』
そんな例を引用しておくことにします。
梅原】・・・・
フィールド・ワークということではやはり今西さん。
梅棹さんもフィールド・ワークの人なんですね。
桑原さんにはやはり教養主義というのが片一方にあったと思いますね。
そこで吉川さんや貝塚さんと親しかった。
暴露しますけど、いつか祇園でお酒を飲んでいました。
そしたら吉川先生がぐでんぐでんに酔っ払ってやって来て、
私の隣へ坐って、『梅原、お前はだめだぞ』と言われたのです。
吉川先生は飲むとちょっと酒乱みたいになりまして、
僕は、これは今日は危ないからといってちょっと逃げたんです。
そしたら梅棹さんが隣になった。梅棹さんと吉川さんは学風が全く違う。
吉川さんは『本の中に真実はある。本以外には真実はない』という考え方。
梅棹さんは『本なんてあてにならない』という考え方です。
そういう考え方が、いつかどこかでぶつかったことがあって、
吉川先生がちょっと見たら隣に梅棹さんがいた。
『お前が梅棹か。ばかな梅棹か。お前は古典を知らないからだめだ』
と言う(笑)。それで、
『真実は本にはありはしない』と梅棹さんが言うと、
『そんなことを言うやつは無学だ』と言って二人で大喧嘩になった。
私はそばで楽しく両雄の決闘を見せていただいていたが、
あんまりひどくなって、最後は吉川さんがつかみかかっていく。
それで困って、ちょうど福永光司さんは腕力抜群ですから、
福永さんが掲げて担いでいった。
その後から梅棹さんが『この馬鹿じじい』と(笑)。
この言葉は今でも思い出す。・・・・・」(p126~127)
うん。ここにちょい役で、福永光司氏が登場している。
うん。わたしは福永氏の本を古本で買ったままなのを、
その未読本を、あらためて思い出してしまいました。