和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「モナ・リザ」の微笑。

2021-04-20 | 本棚並べ
小林秀雄が岡潔との対談に、こう記しておりました。

小林】 ベルグソンは若いころにこういうことを言ってます。
問題を出すということが一番大事なことだ。うまく出す。
問題をうまく出せば即ちそれが答えだと。

この考えはたいへんおもしろいと思いましたね。
いま文化の問題でも、何の問題でもいいが、
物を考えている人がうまく問題を出そうとしませんね。
答えばかり出そうとあせっている。
 
岡】 問題を出さないで答えだけを出そうとするのは不可能ですね。

小林】 ほんとうにうまい質問をすればですよ、
    それが答えだという簡単なことですが。

岡】 問題を出すときに、
   その答えがこうであると直観するところまではできます。
   できていなければよい問題でないかもしれません。
   その直観が事実であるという証明が、数学ではいるわけです。
   それが容易ではない。・・・・

    (p76~77「対話 人間の建設」新潮社・昭和53年)


え~と。杉本秀太郎の短文を読んでいると、
ときに、文の書きだしだけで、充分だと思えることがあります。
例えば、『絵 隠された意味』(平凡社・1988年)に
「映発」という5ページの文があり、そのはじまりで杉本氏は、
さりげなくですが『問題提起』をして、はじめておりました。

「フィレンツェのウフィツィ美術館には、だれ知らぬ人もない絵が沢山ある。
ボッティチェリの『ヴィナス誕生』および『春』、レオナルドの『受胎告知』
・・・・・・・・・

だが、名画集のたぐいで見なれてしまった絵というものには、
厄介なところがある。はるばる遠い国の美術館を訪れ、
まぎれもない実物の絵のまえに立ったとき、
眼前の実物が妙にそらぞらしく、手ごたえを欠いていて、
これは一体どうしたことかと目をこすって見直す、
そういう経験をしなかった人があるだろうか。

まわりの見物衆はどの人も、神妙な顔をしているので、
内心のうろたえを隠して、こちらも神妙を装う。
こうしてお互いに神妙ごっこをしている。
あのルーブルの『モナ・リザ』は、
見物衆の内心を見すかして、
皮肉な微笑をやめないのである。」(p22~23)

岡潔氏は
「その直観が事実であるという証明が、
 数学ではいるわけです。それが容易ではない。」
と答えておりました。
杉本秀太郎氏は、このあとを、さて、
どうつづけて書いていたでしょうか。

たいてい私の場合、寝床で本をひらいていると、
始まりだけで、あとは本をとじ寝てしまいます。
ですから、わたしは、いつでもはじまりが肝心。
コメント
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