和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

いくつの年齢になっても。

2021-04-19 | 本棚並べ
数人で居酒屋へはいれば『とりあえずビール』。
私の最近は、といえば『とりあえず古本買い』。

桑原武夫の共同研究参加者リストがあって、
最後の6回目にだけ、杉本秀太郎氏の名前が登場している。
その時の共同研究は「文学理論の研究」(1967年)でした。

題名からして小難しそうで、眼中になかったのですが注文。
桑原武夫編「文学理論の研究」(岩波書店・1967年12月)。
古本で80円+送料257円=337円でした。
それが昨日届く。杉本氏の論文は『植物的なもの 文学と文様』
そのはじまりは、「古今集と草花文様」なのでした。
ちなみに、杉本氏の次は、山田稔氏で「鳥獣虫魚の文学」。
その次に、梅原猛氏が続いておりました。

うん。最近の『とりあえず古本』は、杉本秀太郎関連本。
昨日、寝床に持参した本はというと

杉本秀太郎著「太田垣蓮月」(小澤書店・昭和57年)
篠田一士著「読書のたのしみ」(構想社・1978年)
青木玉対談集「祖父のこと母のこと」(小沢書店・1997年)
「和田恒 追悼文集 野分」(私家版・昭和56年)
杉本秀太郎著「絵 隠された意味」(平凡社・1988年)
すばる「石川淳追悼記念号」(1988年4月臨時増刊)
新潮「小林秀雄 百年のヒント」(平成13年4月臨時増刊)
「半歩遅れの読書術Ⅱ」(日本経済新聞社編・2005年)

はい。どの本にも杉本秀太郎氏が登場します。
昨夜は、そのうちの一冊を数ページひらいたら
すぐに寝てしまいました(笑)。それはそうと、

私が、杉本秀太郎氏に目覚めたのは、塚本珪一の
「フンコロガシ先生の京都昆虫記」(青土社・2014年)のおかげ。
その本のなかに杉本秀太郎著「ひっつき虫」(青草書房・2008年)
が印象深く語られていたので、う~ん、こっちも古本購入(557円)。
「ひっつき虫」の、その帯には、こうあります。

「私の書いた本は、私の播くたね。
 たねよ、ひっつき虫になって、
 どこへなりとも運ばれていってくれ。」

はい。この本の「あとがき」の、はじまりが印象に残ります。

「注文原稿には、何について書くか先方がきめてくるもの、
何についてでもよろしいと放任されているもの、この二手がある。

いずれにせよ、私にとってはすべて冒険なのに変りはない。
冒険とは大げさに聞こえるかもしれないが、うまく対応できるか、
いつでも、いくつの年齢(とし)になっても不安になるのだから、
危険を冒すことに変りはない。

・・・事柄が解決していないままを書こうとすると、
それはこんなふうな経過をたどる。

入口のドアがどうしても開かない。
耳を当て聞き耳を立てる。
うまくドアがあいて、なかに入ったはいいが、
こんどはドアが動かなくなり、そとに出られない。
いずれのときも切羽詰って、ドアに書きつける。・・・」
(p260~261)

そういえば、日経新聞の「半歩遅れの読書術」に
杉本氏が4回連載のコラムを書いたときのはじまりが
昨夜読んだばかりなので浮かんできました。

「出版されたのが半歩どころか百歩も千歩も万歩も後方でありながら、
読めば今に新しく、少しも古びていない書物を読みたい。
そうねがう人があるかぎり、読書が絶えることはない。
そして本を読む幸福を知れば、人に話さずにはいられないのが人情。
こうして独りはけっして独りではおわらない。

・・・・読めば読むほどに本が本を呼び、
多方面にひろがるから、濫読者はやがて人それぞれ、
物それぞれの良さをあるがままに見る人になる。

狂信が専門職、技術者に取りつくのは本を読む幸福から遠いところで
専門書、技術書の壁に囲まれているからである。
光のなく影のないところに住みなれていると、
わずかな影にもおびえることになる。狂信はすぐ近い。

一方、濫読家は、むつかしいところに出会っても
びっくりしたり怖じ気づいたりはしない。
いずれ分かるさ、とつぶやいて、
むつかしいところに長く立ちどまらない。
思わぬところで光が射す、そのときの
腑に落ち加減の快さを知っているからである。・・・」(p135)


はい。『・・切羽詰って、ドアに書きつける』なんてのも、
何が何だか分かったようで、よく分からないままだけれど、

『いずれ分かるさ、とつぶやいて・・長く立ちどまらない』
ように心がけたいと、思わず思ってしまうのでした。
コメント
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