和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

道元と、68歳の典座の夏。

2022-08-01 | 古典
講談社学術文庫に、道元「正法眼蔵」8冊揃いがあるけど、
ちゃんと本棚には、並んでいるのだけれど、読まずにある。

読まずにあるのですが、最初の一冊くらいは読みました。
きちんと読んでから感想を浮かべればよいのでしょうが、
この調子でゆけば、どうしても感想を書けないだろうな。

ええい儘(まま)よ。
思い浮かぶ感想を描きながら本へ近づくという手もある。

道元に典座教訓(てんぞきょうくん)がありまして、
そこに、留学中の道元と典座との会話が載ってます。

「私は、昼食が終わったので、東の廊下を通って・・途中
 用典座(ゆうてんぞ)は仏殿の前で海藻を干していた。

 その様子は、手には竹の杖をつき、頭には笠さえかぶっていなかった。
 太陽はかっかっと照りつけ、敷き瓦も焼けつくように熱くなっていたが、

 その中でさかんに汗を流しながら歩きまわり、一心不乱に海藻を干しており
 大分苦しそうである。背骨は弓のように曲がり、大きな眉はまるで鶴のよう
 に真っ白である。

 私はそばに寄って、典座の年を尋ねた。すると典座は言う、
 『六十八歳である』。私はさらに尋ねて言う。
『どうしてそんなお年で、典座の下役や雇い人を使ってやらせないのですか』

 典座は言う、
 『他人がしたことは私がしたことにはならない』。
 私は尋ねて言う、
 『御老僧よ、確かにあなたのおっしゃる通りです。
  しかし、太陽がこんなに熱いのに、どうして
  強いてこのようなことをなさるのですか』。

 典座は言う。
 『(海藻を干すのに、今のこの時間が最適である)
  この時間帯をはずしていつやろうというのか』。

 これを聞いて、私はもう質問することができなかった。
 私は廊下を歩きながら、心のなかで、典座の職が
 いかに大切な仕事であるかということが肝に銘じた。」

    ( p70~71 講談社学術文庫「典座教訓・赴粥飯法」 )


そういえばと、昨日の夜に、本棚の正法眼蔵へ目がゆきました。
講談社学術文庫の正法眼蔵1~8は、増谷文雄全訳注です。

うん。正法眼蔵(一)だけはパラパラ読みした記憶があります。
一冊目のはじめのほうに、現成公案(げんじょうこうあん)が
ありました。この一巻を増谷文雄氏は説明しております。

「この一巻が制作されたのは、天福元年(1233)の
 中秋(8月15日)のころであったと知られる。
 巻末の奥書に記すところである。・・・・・・

 この一巻は、別に衆に示されたものではなく、ただ書いて、
 これを『鎮西の俗弟子楊光秀』なる者に与えたものと知られる。・・」
                        ( p38 )

うん。現成公案は、中秋(8月15日)のころに、
鎮西(ちんぜい)の俗弟子へと書いた手紙のようです。
きっとまだ暑さが消えない時期だったのでしょうね。

本文の始まりは「諸法の仏法のなる時節・・・」を
語り始めているのですが、数行目あとには、こうあります。

「しかもかくのごとくなりといへども、
 華は愛惜(あいじゃく)にちり、
 草は棄嫌(きけん)におふるのみなり。」

ここを、増田文雄氏は、こう訳しておりました。

「また衆生・諸仏があっても、なおかつ、
 花は惜しんでも散りゆき、
 草は嫌でも繁りはびこるものと知る。」(p41)

「現成公案」の、最後には扇が出てくるのでした。
ここは、増谷氏の現代語訳で

「(風俗常住ということ)
 ・・宝徹禅師が扇を使っていた。
 
 そこに一人の僧が来って問うていった。
 『風性は常住にして、処として周(あまね)からぬはないという。
 それなのに、和尚はなぜまた扇を使うのであるか』

 師はいった。
 『なんじはただ風性は常住であるということを知っているが、
  まだ、処として周からぬはないという道理はわかっていないらしい』

 ・・・・・・・
 つねにあるから扇を使うべきではない、
 扇を用いぬ時にも風はあるのだというのは、
 常住ということも知らず、風性というものも解っていないのである。

 風性は常住であるからこそ、
 仏教の風は、大地の黄金なることをも顕現し、
 長河の水を乳酪たらしめる妙用をも実現することを得るのである。」


はい。夏に扇。そうして、
「華は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり」。

時節柄、夏のこととて、何だか身近な感覚として伝わってきます。
1233年の中秋は暑かったのでしょうかどうだったのでしょうね?
コメント (4)
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