和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

詩人が語る他人の詩。

2022-08-11 | 詩歌
石垣りん著「詩の中の風景くらしの中によみがえる」(婦人之友社・1992年)
茨木のり子著「詩のこころを読む」(岩波ジュニア新書・1979年)

はい。この2冊を思い浮かべる。そういえば、2冊とも女性の本。
なんでだろうと思ったら、そうだ男性は詩の守備範囲が広すぎる。
現代詩に限らずに、短歌から俳句からなにからなにまで呑みこむ。
それとくらべるなら、2冊の女性の本はすっきりとしてるのでした。

まずは、「詩の中の風景」をひらくと、アレレ、
金子光晴の詩「森の若葉」が引用されてます。
その解説の石垣りんさん。

「初孫への愛を存分に傾けた一冊の詩集『若葉のうた』は、
 昭和42年(1967)発行。『森の若葉』はその巻頭に。
 因に『森』は戸籍上の姓、森家に芽生えた小さないのち、
 という含みもある題名とききました。 」(p38)

うん。せっかくですから、詩『森の若葉』から断片引用。

 小さなあくびと 小さなくさめ
 それに小さなしゃっくりもする
 
 ・・・・ 
 
 しょうひちりきで泣きわめいて
 それから 小さなおならもする

 森の若葉よ 小さなまごむすめ
 生れたからはのびずばなるまい


『小さなおならもする』とありました。
はい。私はこの頃しまりがなくて、歩きながらおならをしてる。
そういえば、この夏は汗ばかりで、おならをしてないなあ。
ということで、おなら。
まど・みちおの詩『おならは えらい』もとりあげられてます(p94~95)
うん。ここは、短い詩の全文を引用しておかなきゃ。

   おならは えらい
  
   でてきた とき
   きちんと
   あいさつ する

   こんにちは でもあり
   さようなら でもある
   あいさつを・・・

   せかいじゅうの
   どこの だれにでも
   わかる ことばで・・・

   えらい 
   まったく えらい


この本は、ページの上の3分の1ほどに小さな文字で詩が置かれ、
その下の、3分の2ほどが石垣りんさんの詩にまつわる短文です。
この詩を、石垣さんはどう語っていたのか、そのはじまりだけ。

「 一読して、ほんとにえらい、と思いました。
  何がえらいのか、たぶん作者です。

  世間という表通りのようなところから、
  ひたかくしにされているものを、
  天下晴れた存在に高めてしまう。・・・・    」

はい。この詩は、私はこの本で出会いました。
うん。さっそく、声を出してよんだのでした。


山村暮鳥の詩『ある時』(p56~57)もありました。
ここは、石垣りんさんの文を引用してから、詩を引用。

「詩がはたらきかけてくれる笑いの要素は、今のところ稀少です。
 詩を読んでいて笑うことはあまりありません。
 ハエの詩には思わず笑ってしまい、・・・・    」

「 山村暮鳥は明治17年に生まれ、神学校を出たあと牧師になりましたが、
  やがて結核になり大正13年、40歳で亡くなりました。
  生涯貧しい暮らしの中で子供を愛し、買ってやれない玩具の代りに
  童話を書いた、という話も聞きました。・・・     」


    ある時     山村暮鳥

  わたしはうやうやしく
  いつものやうに感謝をささげて
  すうぷの椀をとりあげました
  すると
  その中におちて
  蠅が一ぴき死んでゐるではありませんか
  おお神様
  じやうだんではありません


    ある時

  また蜩(ひぐらし)のなく頃となつた
  かな かな
  かな かな
  どこかに
  いい国があるんだ


はい。この本の装幀・画は島田光雄。
表紙カバーは、あれれっと意外で、一目見ると忘れ難い。
せっかくですから、もう一冊の『詩のこころを読む』から
一箇所だけ引用しておきます。

「   悲しめる友よ   永瀬清子

  悲しめる友よ
  女性は男性よりさきに死んではいけない。
  男性より一日でもあとに残って、挫折する彼を見送り、
          又それを被わなければならない。

男性がひとりあとへ残ったならば誰が十字架からおろし埋葬するのであろうか
聖書にあるとおり女性はその時必要であり、それが女性の大きな仕事だから、
  あとへ残って悲しむ女性は、女性の本当の仕事をしているのだ。
だから女性は男より弱い者であるとか、理性的でないとか、世間を知らない
とか、さまざまに考えられているが、女性自身はそれにつりこまれる事はない
これらの事はどこの田舎の老婆も知っている事であり、
       女子大学で教えないだけなのだ。

                 ( 短章集2『流れる髪』 )   」

これを引用したあとの、茨木のり子さんの文が、一読忘れ難かった。

「愛する人を失って悲嘆にくれる友人をなぐさめる形になっています。
 なくなったのは、友人の恋人か夫かわかりませんが、なぐさめ励ましたい
 という作者の願望が、真底からほとばしり出て、ついに
 『これらの事はどこの田舎の老婆も知っている事であり、
  女子大学で教えないだけなのだ。』という、
 実に痛快な結論に達してしまいます。

 女房より先に死にたいと願っている男性はいっぱいいますし、
 実際、女房に先だたれた男ほど哀れで、こころもとなく見える
 ものはありません。年をとればとるほどそうで、何かを
 ごっそりもってゆかれたみたいにへたります。

 女が生き残った場合はなんとかさまになっているのはどうしてだろう、
 折にふれて考えさせられてきましたが、『悲しめる友よ』を読んでから、
 いい形をあたえられたようで、ひどくはっきりしてきました。・・ 」
                       ( p208~209 )

うん。ここで切ってしまうと、まだまだ続くのり子さんの文が
尻切れトンボになってしまいますが、ここまで。

うん。永瀬清子も、山村暮鳥も、金子光晴も・・・
どなたの詩もそれ以上読もうと思わなかったなあ。
私の場合は、石垣りん、茨木のり子のお二人の本でもう満腹。


   
コメント (2)
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