和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

与謝蕪村と井上陽水

2022-08-06 | 詩歌
「 蕪村は宝暦4年ごろ丹後に遊んだが、
  そのまま同7年までいわゆる与謝の地に滞留してしまった。

  ・・・・帰洛後谷口姓を与謝姓に改めたことからも・・・
  彼は美景の中に悠遊しつつ、主に画技の研鑽に努めたのであるが、
  一方俳諧の同好の士をも多く得て、それとの交遊をも楽しんだのである。」

         ( p162~163 中村草田男著「蕪村集」大修館書店 )

中村草田男は、ここで、蕪村の夏の俳句を紹介しているのですが、
その句の前書をとりあげております。

「( 白道上人のかりのやどり玉ひける草屋を訪ひ侍りて
   日くるるまでものがたりして・・・・云々     )、

  の言葉があって、その続きに、

 ( 前に細川のありて潺湲と流れければ )
  という前書を付けて誌されているものである。

 つまり、白道上人の草庵へ訪い寄った時の
 実経験がそのまま句作の動機となっているわけである。  」

その蕪村の句はというと

       丹波の加悦(かや)といふ所にて
   夏河を越すうれしさよ手に草履 

 注:加悦は丹後与謝郡にある、宮津の西南の地。丹波としたのは誤り。

中村草田男は、この句に『少年』を編みこむようにして読解しております。
うん。そこに注目する箇所を引用してみます。

「 もしこの句に前書がなかったならば、我々は主人公として
  一人の少年の姿のみを想像するに相違ない。・・・・・・

  むしろ我々が終生『思い出』の中に老いざる姿として
  保持し続ける『少年時代』という意味に近い性質のものである。 」


『少年時代』とくれば、つぎはもう、
 与謝蕪村から井上陽水へ夢の道筋。



注】 潺湲(せんかん):水が流れる音
   潺潺(せんせん):さらさら流れる浅い谷川の音

  

                     
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