「 蕪村は宝暦4年ごろ丹後に遊んだが、
そのまま同7年までいわゆる与謝の地に滞留してしまった。
・・・・帰洛後谷口姓を与謝姓に改めたことからも・・・
彼は美景の中に悠遊しつつ、主に画技の研鑽に努めたのであるが、
一方俳諧の同好の士をも多く得て、それとの交遊をも楽しんだのである。」
( p162~163 中村草田男著「蕪村集」大修館書店 )
中村草田男は、ここで、蕪村の夏の俳句を紹介しているのですが、
その句の前書をとりあげております。
「( 白道上人のかりのやどり玉ひける草屋を訪ひ侍りて
日くるるまでものがたりして・・・・云々 )、
の言葉があって、その続きに、
( 前に細川のありて潺湲と流れければ )
という前書を付けて誌されているものである。
つまり、白道上人の草庵へ訪い寄った時の
実経験がそのまま句作の動機となっているわけである。 」
その蕪村の句はというと
丹波の加悦(かや)といふ所にて
夏河を越すうれしさよ手に草履
注:加悦は丹後与謝郡にある、宮津の西南の地。丹波としたのは誤り。
中村草田男は、この句に『少年』を編みこむようにして読解しております。
うん。そこに注目する箇所を引用してみます。
「 もしこの句に前書がなかったならば、我々は主人公として
一人の少年の姿のみを想像するに相違ない。・・・・・・
むしろ我々が終生『思い出』の中に老いざる姿として
保持し続ける『少年時代』という意味に近い性質のものである。 」
『少年時代』とくれば、つぎはもう、
与謝蕪村から井上陽水へ夢の道筋。
注】 潺湲(せんかん):水が流れる音
潺潺(せんせん):さらさら流れる浅い谷川の音