産経新聞の8月20日
『花田紀凱(かずよし)の週刊誌ウォッチング』から引用
「新聞、テレビなど大メディアが、一方に振れたとき、
ちょっと違うのでは、こんな見方もあるのでは、
と発信するのが、雑誌ジャーナリズム、特に週刊誌の役割だろう。
ところが、このところの『統一教会』批判、まさに『魔女狩り』
とでも言うべき大メディアの報道に、異を唱えるどころか、
週刊誌も一緒になって煽(あお)っている。
実に情けない。
・・・その『新潮』、今週もトップは『統一教会』で・・・
7月の参院選で、萩生田光一氏が、生稲氏を伴って
八王子市内の関連施設を訪れたという、たったそれだけの話。
・・・・・
渡邉哲也さん(経済評論家)が、こんなことを言っていた。
『 統一教会系の団体の会合に出たとか追及されて
ヘドモドしている政治家も情けない。そう言われたら、
≪ いや、私、創価学会の会合にも、立正佼成会、霊友会
の会合にも出てますよ。何が悪いんですか ≫
と返事すりゃいいんです 』 」
週刊新潮の表紙絵・谷内六郎さんが亡くなってあと、
いちばんの痛手は、新潮社の編集者・齋藤十一さんが亡くなった
ということでした。
小島千加子さんの「齋藤さんの徳」には、
「・・やがて週刊誌へと移行、
自分の思い通りの誌面造りへと発展させたのである。
誰もやろうとせず、やれなかったことをやるのが人間としての生き甲斐、
という齋藤さんの、果敢な精神の発露である。 」
( p38 )
亀井龍夫の「私は齋藤さんを生きている」では
「 ・・・・
私にいわせれば、程度の低い人を相手になさらなかっただけだと思う。
何をいってもわからない、わかろうとしない、
そういう人を相手にしているヒマはない。
これが齋藤さんの生き方であり、
私も年をとればとるほど、程度の低い人は相手にしないに限る
と考えるようになっている。この面でも私は
齋藤さんを生きていることになるのであろうか。 」( p87 )
伊藤貴和子さんの「『ひかり』の中で」には
「『 人の群がるところに行くな 』
『 読者がこういう本を読みたいだろうから、
ではなく自分が面白くて、読みたい本を出せ 』
『 本は書名が命だ 』
『 宣伝文句に、使いふるされた文言を使うな、自分の言葉をみがけ 』
等々、編集者の心得を日々叩きこまれた。 」 ( p131 )
うん。あと一人。
松田宏さんの「 齋藤さんの思い出 」に
「 齋藤さんとのエピソードは書けばきりがない。
私が接触した齋藤さんは、いわば晩年の齋藤さんである。
しかし、編集理念に衰えは見られなかった。
その理念とは何かと聞かれれば、
『逆説』という一語につきるかも知れない。
戦後民主主義のバカさ加減をあますところなく追究された。
『面白い雑誌をつくるには面白い人間になれ』
よくおっしゃっていた言葉だ。・・・ 」( p140 )
以上の引用は、「編集者齋藤十一」(冬花社・2006年)でした。