加島祥造著「タオ(道)」筑摩書房・2000年。
帯には「道は無い・・・それが道だ」全訳創造詩とあります。
今回引用するのは第38章徳(テー)
だいたい私が
徳と呼ぶのは
千変万化するタオのエナジーが
この世で働く時のパワーのことを言うのだ。
タオのパワーにつながる人は
いまここに居る自分だけに
心を集めている。
ほかの意識は持たないから、
内側のエナジーはよく流れる。
これを私は上等の徳と言うんだ。
世間にいる道徳家と言うのは
徳を意識して強張(こわば)るから、
エナジーはよく流れない――
こういうのを私は下等の徳と言うのさ。
同じことが日々の行為にも当てはまる。いつも
意識して行動するだけの人は
深いエナジーを充分に掬(く)みだせない。
タオの働きを信じて、
余計なことをしない人は
いつしか大きなパワーに乗って、自分の
生きる意味につながる。
その人の
本当の人間感情も
こういう大きな愛から動く。
これが正しいからやる、なんてことばかり
主張する人は
浅いパワーを振り回しているのさ。
そして礼儀や世間体や形式ばかり
守ってる人は、
こっちがそれに同調しないと
目を剝いて文句を言い、
腕まくりして無理強いしたりする。
言い直すと、世界ははじめ、
タオ・エナジーの働きを、
徳として尊んだんだがね。
それを見失ったあと、
人道主義を造りだした。
それを失うと、
正義を造りだした。
正義さえ利(き)なくなると、
儀礼をはじめた。
儀礼がみんなの基準になると
形式ばかり先行して、裏では
むしり合いがはじまった。
先を読みとる能力が威張り、
愚かな競争ばかり盛んになった。
あの道(タオ)の
最初のパワーにつながる人は
上辺(うわべ)の流れを見過ごして平気なんだよ。
結果が自然に実を結ぶのを
待っていられる人になる。
花をすぐ摘み取ろうなんてせずに
ひとり
ゆっくりと眺めている人になる。
( p104~107 )
はい。この夏は、老子・荘子を読もうと思った。
思ったまま、夏も過ぎようとしております。