和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『海の子』高田敏子。

2022-08-04 | 詩歌
高田敏子の娘・久冨純江の本「母の手」(光芒社・平成12年)。
この本で、高田敏子と、海のつながりがつかめて印象深かった。
この機会に、それをとりあげてみます。

「 母(高田敏子)は海が好きだった。
  子ども時代に親しんだ房総の海、
  娘時代に長逗留した三浦三崎での思い出が
  母と海をつないでいる。 」  ( p96 )

純江さんが、母親につれられて海へゆく箇所が印象深い。

「 私(純江)が中学から高校にかけての夏休みは、
  毎年、逗子の葉山海岸にある父の会社の寮に出かけた。
  昭和20年代中頃のことだ。

  海へ行く一週間前、母は徹夜つづきとなる。
  お客さまの仕立て物をすませてから、私たちの
  外出着と水着を縫う。・・・・

  海に面した寮の庭の隅にはトタン屋根の細長い炊事場があり、
  かまどからずらりと並んでいた。まだ物がない時代で、
  食料は各自で持参し自炊することになっていた。・・・・・

  母には娘時代、毎年三浦三崎の漁師さんの家を借りて、
  一家で一夏を過ごした思い出がある。
  その体験を再現したかったのだろう。
  普段、・・仕事に追われているが、
  この海の家では率先して遊ぶ。

  一番楽しんだのは母だったようで、
  親の解放感がこちらにも伝わってきて嬉しくなる。

  私たちは泳ぎを教わるのだが、やがて、
  『 あなたたちはここで見ていらっしゃいっ! 』
  と言い残すと、

  沖にある飛び込み台まで一人すいすいとノシで泳いでいく。
  豆粒ほどに小さくなった母が台の上から手をふり、ひらりと飛び込む。
  消えてしまった母がこちらに向かって泳いで来るのを、
  波間に見つけるまでは不安でならなかった。   」( p53~54 )


こうして、詩も引用されておりますが、
ここには、詩「布良(めら)海岸」の箇所から引用。

「 母の代表作ともいわれる『布良海岸』の詩は・・
  『銀婚』七号(昭和36年8月)に載ったものだ。

      布良海岸 

   この夏の一日
   房総半島の突端 布良の海に泳いだ
   それは人影のない岩鼻
   沐浴のようなひとり泳ぎであったが
   よせる波は
   私の体を滑らかに洗い ほてらせていった
   岩かげで 水着をぬぎ 体をふくと
   私の夏は終わっていた
   切り通しの道を帰りながら
   ふとふりむいた岩鼻のあたりには
   海女が四五人 波のしぶきをあびて立ち
   私がひそかにぬけてきた夏の日が
   その上にだけかがやいていた。

 ・・・・母からの書簡の一部も掲載されている。
 ≪『布良海岸』は 1961年発行の〈銀婚〉に発表したものです。
  布良に行ったのはたしかその前年だったと思います。

  8月中旬の布良は夏休みと思えないほど静かで、
  泳ぐ人の姿も見えませんでした。

  青木繁の画材になった布良に、
  長年ゆきたくねがいつづけておりました。

  館山の近くの那古船形には子供時代に何年か、
  夏休みを過ごしました。那古観音様には
  毎朝お参りしてハトと遊びました≫  」   ( p83~84 )


『野火の会』を語る中に、北海道の屈斜路湖で泳ぐ場面があります。
うん。遠回りしながら、最後にそこを引用して終ることに。

「『野火の会』は、昭和35年から数年間、母が朝日新聞の家庭欄に詩を
 連載したのがきっかけで生まれた。
 詩を読んだ人々から『自分も詩を書いてみたい』、『指導をしてくれ』
 というような手紙をいただくようになる。・・・・ 」( p155 )

「『野火』の創刊号は・・昭和41年1月にできあがった。母は51歳だった。」
                         ( p157 )

はい。屈斜路湖の場面になります。

「 北海道釧路に近い屈斜路湖で、
  63歳の母がスリップ姿で泳いでいる写真がある。

 ある詩碑の除幕式に参加するために『野火』の人たちと旅したときのもの。
 その日は、宿の人が泊り客のために、あわてて扇風機を借り集めたという
 ほどの珍しい暑さだったそうだ。

 貸切のマイクロバスを湖畔にとめて休憩したとき、
 泳いでいる親子の姿に誘われてか、暑がりの母は

 『私も泳ごうかしら』と木陰で洋服をぬぐと水の中に入っていった。
 娘時代はスリップで泳ぐことも珍しくはなく、泳ぎの大好きな母は
 北海道の広い湖水を目の前にして思わずひと泳ぎしたくなったようだ。

 そのとき、母につられてともに泳いだ方は
 『思いがけない楽しさだった』、『いい思い出』、
 と懐かしそうに話してくださったけれど、
 その場にいなくてよかったと私は胸をなでおろす。・・  」( p164 )

 
 

 
コメント (2)
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