和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ひかりさん ひかりさん。

2022-08-26 | 本棚並べ
呼びかける詩というのがありますね。
昨日は、永瀬清子の詩「ひかりさんひかりさん」(?)を
捜してたんですが、どこにあったのか、
何の雑誌だったのか、はたまた追悼号だったのか、
見つからずじまい。

はやくに亡くなった干刈あがたさんを悼む詩だったのでした。

 ひかりさん ひかりさん
 後ろから私を照らしていてください

そんなような語句があったような気がするのですが、長い追悼詩でした。

しかたないと、今日は思潮社の現代詩文庫1039「永瀬清子詩集」を
とりだしてくる。この解説を干刈あがたさんが書いておりました。
そこから引用しておくことに。


「私は永瀬清子の詩を読みながら、
 もっと早く読んでいればよかった、と思う一方で、
 
 もし二十代の時にこれらを読んでいたら、
 私にはこの明りは見えなかったかもしれない、
 とも思います。

 私は自分が生活経験を重ねてみて、
 女が家の中にいることや子育てで身動きができないこと
 自体が不幸なのではない。その中には考える種がいっぱいあり、

 命に近いところにある豊かさをいっぱい感じられる場所なのに、
 そのことに気がつかないことが不幸なのだ、と思うようになりました。

 そこからものごとを見つめたり考えたりしたい、
 と思うようになった私に、ようやく見えた明りだったのではないかと。

 私の永瀬清子の詩の読み方は、大ざっぱなもので、
 折折ぱらぱらと頁を繰って、わかりやすいものに取りつく、
 というようなものです。・・・             」
                  ( p153 )


うん。これを読んでからも永瀬清子さんの詩を読まなかったし、
まして、干刈あがたさんの本も読んだことがありませんでした。

結局みつけられなかったのですが、呼びかける追悼詩のことが
不思議と思い浮かびました。またいつか、この詩と出会えますように。

その時は、もう少し私も成長していますように。
つい、そんなことを思ってしまう追悼詩だったような気がしています。
コメント
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