呼びかける詩というのがありますね。
昨日は、永瀬清子の詩「ひかりさんひかりさん」(?)を
捜してたんですが、どこにあったのか、
何の雑誌だったのか、はたまた追悼号だったのか、
見つからずじまい。
はやくに亡くなった干刈あがたさんを悼む詩だったのでした。
ひかりさん ひかりさん
後ろから私を照らしていてください
そんなような語句があったような気がするのですが、長い追悼詩でした。
しかたないと、今日は思潮社の現代詩文庫1039「永瀬清子詩集」を
とりだしてくる。この解説を干刈あがたさんが書いておりました。
そこから引用しておくことに。
「私は永瀬清子の詩を読みながら、
もっと早く読んでいればよかった、と思う一方で、
もし二十代の時にこれらを読んでいたら、
私にはこの明りは見えなかったかもしれない、
とも思います。
私は自分が生活経験を重ねてみて、
女が家の中にいることや子育てで身動きができないこと
自体が不幸なのではない。その中には考える種がいっぱいあり、
命に近いところにある豊かさをいっぱい感じられる場所なのに、
そのことに気がつかないことが不幸なのだ、と思うようになりました。
そこからものごとを見つめたり考えたりしたい、
と思うようになった私に、ようやく見えた明りだったのではないかと。
私の永瀬清子の詩の読み方は、大ざっぱなもので、
折折ぱらぱらと頁を繰って、わかりやすいものに取りつく、
というようなものです。・・・ 」
( p153 )
うん。これを読んでからも永瀬清子さんの詩を読まなかったし、
まして、干刈あがたさんの本も読んだことがありませんでした。
結局みつけられなかったのですが、呼びかける追悼詩のことが
不思議と思い浮かびました。またいつか、この詩と出会えますように。
その時は、もう少し私も成長していますように。
つい、そんなことを思ってしまう追悼詩だったような気がしています。