和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

テレビの困った番組第一位。

2022-08-16 | 本棚並べ
まずは、茨木のり子の年譜をひらきます。

1926(大正15年)   6月12日生まれ。
1937(昭和12年)11歳。小学校5年生。12月生母死去。
1949(昭和24年)23歳。医師、三浦安信と結婚。
1961(昭和36年)35歳。夫、くも膜下出血で入院。
1975(昭和50年)49歳。夫、三浦安信、肝臓がんのため死去。
2006(平成18年)79歳。2月17日茨木のり子くも膜下出血のため自宅にて死去
           19日、音信不通のため訪れた甥、宮崎治により発見。

詩に関係する年譜はというと、

1953(昭和28年)27歳
    5月、同じ「詩学研究会」に投稿していた川崎洋氏と共に、
    同人雑誌『櫂』創刊。以後、谷川俊太郎、吉野弘、友竹辰、
    大岡信、水尾比呂志、岸田衿子、中江俊夫氏らが参加。
1965(昭和40年)39歳
    1月、詩集『鎮魂歌』思潮社から刊行。12月『櫂』復刊。
1977(昭和52年)51歳
    3月、詩集『自分の感受性くらい』花神社から刊行。
1979(昭和54年)53歳
    10月、岩波ジュニア新書9『詩のこころを読む』刊行。

(  以上は、岩波文庫「谷川俊太郎選茨木のり子詩集」2014年
   の最後にある、略年譜(作成・宮崎治)より引用しました。  )

ここには、茨木のり子著「詩のこころを読む」の「はじめに」。
そのはじまりを引用してみることに。

「いい詩には、ひとの心を解き放ってくれる力があります。
 いい詩はまた、生きとし生けるものへの、いとおしみの
 感情をやさしく誘いだしてもくれます。
 どこの国でも詩は、その国のことばの花々です。

 私は長いあいだ詩を書いてきました。
 ひとの詩もたくさんよんできました。
 そんな歳月のなかで、心の底深くに沈み、
 ふくいくとした香気を保ち、私を幾重にも豊かにしつづけてくれた詩よ、
 出てこい! と呪文をかけますと、まっさきに浮かびあがってきたのが、

 この本でふれた詩たちなのです。いったん扉をひらくと、
 次から次からあらわれでて困ってしまうほどでしたが、

 一番最初に姿をあらわしたものが、私にとって一番忘れがたい
 ものでしょうから、いさぎよくそれだけで構成することにしました。
 ・・・・                            」


はい。この本のほぼ全体が、戦後の詩で埋めつくされておりました。
茨木のり子さんは、この時代の言語空間をうろうろ、まよいながら、
詩の言葉との出会いを探し求めていたのだなと思い浮かべるでした。


文庫の年譜にはなかったようなので、
気になるので、指摘しておきますが、

文藝別冊「花森安治」(KAWADE夢ムック・2011年)に、
茨木のり子の「『暮しの手帖』の発想と方法」という文が掲載されています。

1ページが上下二段となって、16ページの茨木さんの文章です。
「『暮しの手帖』の発想と方法」の章立ては
第1章 志について
第2章 ことばについて
第3章 衣食住について
第4章 商品テストについて
第5章 類が類をよぶ

何でも、講座での文章のようです。
昭和48年とありますから、
昭和50年の旦那さんが亡くなる2年前でした。
「暮しの手帖」の花森安治と、同時代を生きた茨木のり子。
それが語られているのですが、ここには、第5章のおわりの方を
最後に引用してみます。

「一見、美しく確かなものの追究という、何気なさを装いながら、
 『暮しの手帖』がその底に絶えず持続させてきた
 ≪したたかさ≫と≪しぶとさ≫は相当なものだが、
 読者はそれをどう読み、受けとめてきたか、
 これも大いに関心をそそられるところである。

 つまり料理のヒント、工作のための教科書としてのみ生きているのか、
 それ以上なのか? ということである。

 計るすべもないのだが、しかし、1969年から1年3か月かかってまとめられた
 ≪テレビの困った番組、読者投票≫によれば教養・報道の部の、
 最悪番組第一位は、NHKニュースと出たことは、
 その一端をわずかに垣間みせてくれたような気がしている。

 NHKは政府の放送局ではないかという不満を持って、
 42%の人びとが最悪番組第一位に選んだ。

 この結果は編集部としても意外で、予想もつかなかったことだったらしい。
 NHK ニュースに漠然とした不満を持っていた人びとに対して、
 この数字のデータが投影されて、ますますしらじらしいものとして
 形をとって感じられ、波及していったことはまだ記憶に新しい。・・」
                   ( p144 )

この茨木のり子さんの講座の文が書かれてから、ほぼ50年がたちました。
現在の言語空間のなかにあって、
今に、花森安治がいたら、1年をかけてどのような読者投票を企画しただろう。
今に、茨木のり子がいたなら、それをどう評価するだろう。




 
 
コメント
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