中村草田男著「蕪村集」(大修館書店・1980年)を
ひらいてみる。俳句が季節ごとに章立てされていて、
それではと、『夏の部』をひらいてみる。
草田男さんは、蕪村俳句を読み解きながら
『立派に一編の小品小説を書き替えられそう』と記すのでした。
それでは引用。
鮎くれてよらで過行(すぎゆく)夜半(よは)の門
これを草田男さんは、どう訳して語っているか?
「 夜中に門を叩く者がある。
何事かと起き出て門の戸を開けてみると、
闇から声をかけるのは友人であった。
ほのかに浮かんだ姿を見ると、
尻からげのはだしという恰好であって、
『 鮎の夜釣りでいま帰宅するところだ。
獲物が意外に多かったから、おすそ分けしよう。
明朝改めて届けるのでは、せっかくの味が落ちてしまって
もったいないと、迷惑な時間とは承知しながらおどろかした次第だ。』
と容器を要求する。手早く分け終えると、
『 疲れているだろうから、しばらく憩って行くがいい。』
というこちらの挨拶には耳もかさず、
『 こんな時刻に手間どっては双方迷惑だ。 』
と、サッサと行き過ぎてしまった。
その後ろ姿へ追いかけて礼をいい、
やがて門の戸を閉ざしていると、
夏もさすがに夜半の大気は、寝巻を透して冷やひやと覚えられる。
そして、手にした容器からは鮎独特の上品な強い香気がたちのぼっている。」
( p173 )
はい。残念ですが、獲れないし、さすがに鮎くれる友人はなし。
けれども、この時期ならでは、近所からは獲れすぎたキュウリや
ナス、ゴーヤのおすそわけがまわってきたりします。