夏目漱石は、大正5年(1916)12月9日に亡くなりました。
その大正5年9月2日の芥川龍之介宛の手紙のなかに
秋立つや一巻の書の読み残し
という俳句があります。
凡人とっては、夏休みが終る頃の
『読み残し』には身近な実感ありますが、
漱石は、この年の暮れに亡くなりました。
さてっと、漱石俳句の夏をめくることに。
のうぜんの花を数へて幾日影 ( 明治40年 )
うん。半藤一利著「漱石俳句を愉しむ」(PHP新書・1997年)には、
青春の章・朱夏の章・白秋の章・玄冬の章・おまけの章と区分けしてまして、
それならばと『朱夏の章』だけめくることに。
泳ぎ上り河童驚く暑かな
半藤さんの解説の最後は
「・・あまりの熊本の暑さに閉口している図とも考えられる。
そのカッパとは、東京からやってきた漱石先生のことでもある。」
( p69 )
隣より謡ふて来たり夏の月
解説は長く引用することに
「さすがに熊本は、54万石の城下町であるな、という感を深めるのは、
漱石がこの地で謡曲に親しんだということである。・・・・
ただし、漱石先生の謡はかなり下手であったらしい。
寺田寅彦が『いやはや聞きしに勝るからっぺたですな』と
なげいた話がある。
家へ帰ってご機嫌でやって、
『いい謡を聞かしてやったんだ、感謝しろ』
といったら、鏡子夫人が答えた。
『我慢して聞いてやったんだから、あなたこそお礼をいいなさいまし』
・・・ 」( p75 )
明治29年の漱石俳句をひらくと
衣更へて京より嫁を貰ひけり
うん。この年の夏の俳句をめくると
すずしさや裏は鉦うつ光琳寺
ゑいやつと蠅叩きけり書生部屋
と、『音』が、なにやら印象深いのでした。