和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

えいやつと蠅叩き

2022-08-21 | 詩歌
夏目漱石は、大正5年(1916)12月9日に亡くなりました。
その大正5年9月2日の芥川龍之介宛の手紙のなかに

  秋立つや一巻の書の読み残し

という俳句があります。
凡人とっては、夏休みが終る頃の
『読み残し』には身近な実感ありますが、
漱石は、この年の暮れに亡くなりました。


さてっと、漱石俳句の夏をめくることに。

 のうぜんの花を数へて幾日影  ( 明治40年 )

うん。半藤一利著「漱石俳句を愉しむ」(PHP新書・1997年)には、
青春の章・朱夏の章・白秋の章・玄冬の章・おまけの章と区分けしてまして、
それならばと『朱夏の章』だけめくることに。

   泳ぎ上り河童驚く暑かな

半藤さんの解説の最後は
「・・あまりの熊本の暑さに閉口している図とも考えられる。
 そのカッパとは、東京からやってきた漱石先生のことでもある。」
                       ( p69 )

    隣より謡ふて来たり夏の月

解説は長く引用することに
「さすがに熊本は、54万石の城下町であるな、という感を深めるのは、
 漱石がこの地で謡曲に親しんだということである。・・・・

 ただし、漱石先生の謡はかなり下手であったらしい。
 寺田寅彦が『いやはや聞きしに勝るからっぺたですな』と
 なげいた話がある。

 家へ帰ってご機嫌でやって、
 『いい謡を聞かしてやったんだ、感謝しろ』
 といったら、鏡子夫人が答えた。
 『我慢して聞いてやったんだから、あなたこそお礼をいいなさいまし』
 ・・・                        」( p75 )


明治29年の漱石俳句をひらくと

    衣更へて京より嫁を貰ひけり

うん。この年の夏の俳句をめくると

   すずしさや裏は鉦うつ光琳寺

   ゑいやつと蠅叩きけり書生部屋


と、『音』が、なにやら印象深いのでした。


コメント (2)
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